出版社より献本御礼。
著者は、正しい。
私自身を振り返っても、うまくいった時には本書に書いてある事を知らず知らずに実行していたし、身の回りのうまくいった人たちもそうしてきた。
だからこそ、こうも感じる。
本書を読んだだけで捨てられるようになるのか、とも。
はじめにお断りしておくと、本entryでは「いつもの」書評フォーマットはあえて捨てている。通常であればここに紹介する本の要約が来て、目次がそれに続くが今回はそのどちらもなし。内容に関しては「8割捨てたら仕事は9割うまくいく」というタイトルに8割が収まっているし、それが何に関して書かれているのか9割はうまく伝わっているのだから。
その代わり書くのは、捨てられる、ということ。
捨てる、ではなくて。
捨てられるようになった人は、いかにして捨てられるようになったのか?
捨てられたから。だ。
著者の原体験は、28歳年上の夫に「捨てられた」ことにある。ガンで死別したことを「捨てられた」とはずいぶん失礼な言い方であることは承知しているが、日本語ではどうしてもこうなってしまう。thrown away も foresaken もどちらも「捨てる」になってしまうのだから。
臼井由妃のルーム(プロフィール)|Ameba Room(アメーバルーム)
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私が見るところ、捨てられる人というのは、こうして一度は天に捨てられているのだ。
私自身、実家全焼で全財産を一度失っている。20年近く前の貧乏学生の頃だったし、それゆえ大して失うものなどなかったのだが、それでも6,000冊はあったはずの本は全部焼失したし、ホシヅルの落款もなくなってしまった。村八分という言葉があるが、火事と葬式はそれでも捨てられない残り二分。要するに、八割以上「捨てられた」というわけである。
著者はそれどころか三億円の借金を会社ごと相続したので、10割通り越してマイナスである。だからこそ、私より捨て上手で、だからこそ私よりずっと成功したのだろう。
捨て上手というと、やはりこの人のことを思い浮かべざるを得ない。
Steve Jobs. フロッピーを捨て、SCSIを捨て、バッテリー交換を捨て…ついにはキーボードとマウスを捨て。Appleはまさに「捨てる会社」である。どうしてこの人はこれほど捨て上手なのか。本人が答えてくれている。
あまりに有名なこのスピーチで、彼は自分の半生を誕生時まで遡っている。遡らざるを得ない。産みの親に捨てられた事が、彼の捨てられ人生の始まりなのだから。
そして自ら操業した会社に捨てられ、ついには自分の人生そのものを膵臓ガンに捨てられかける。
捨て上手になるのもむべなるかな。
大はJobsから小は自分自身に至るまで、捨てられる人はどこかで捨てられる原体験を持っている。例外は今まで見た事がない。本書もその数多な実例の一つである。
捨て上手がなぜ捨てられるか。
捨てられても大丈夫なことを、心も体も知っているからである。
捨てることに対する最大の抵抗は、「もし自分が捨てられる立場にたったらどうしよう」なのではないか。
大丈夫。捨てられても、拾ってくれる誰かが必ずいる。ちょっと計算してみよう。
世界には現在67億人もの人がいる。拾ってくれる人がいないわけがない。
本blogの書評とて、見てくれた人の中で買ってくれるのは100人に1人。実はこれでもものすごい高率なのだが、それでも充分以上に拾っていただいているのだ。
捨てられても、大丈夫。
それがわかれば、捨てるのは怖くない。
Dan the Fortunately Foresaken
かくいう私は幼少時に父親に捨てられたので耐性ができていたはずなのですが……甘かったようです。なかなか我が身が捨てられません。「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」なのにね。(苦笑)