TLでも指摘したのだが、そんなことはない。
値段をつけなきゃ、比べられない。RT @masahirok_jp: 綺麗の価値に、値段なんて付けられない。
で、TLでの反応を見る限り、これはむしろ教育を受ければ受けるほどやりやすくなる勘違いだという感触を得たので、blogにも書くことにした。
ここで @GkEc と @dankogai のどちらの体重が重いかという問題を考えてみる。
もちろん二人で体重を量ってその数値をtwitterで公表しても正解ではある。実際毎日自分の体重をつぶやいている人は、レコーディング・ダイエットが「いつまでもデブと思うなよ」で広く世に知られるようになってからだいぶ増えて来た。しかしここでは @GkEc も @dankogai も恥ずかしがりやで(笑)、実際の体重を公表するなんてもっての他と思っている。この場合、どうしたらよいか。
二人でシーソに乗るだけでいい。
@GkEc が浮き、 @dankogai が沈むことはほぼ間違いないが、ここで重要なのは二人とも自分の体重を全く知らなくても、この方法であればどちらが重いかという問題にはきちんと答えられるということである。
重量の比較に必要なのは天秤であって、具体的な数値ではないのである。そしてこの事は全ての比較に関して成り立つ。比較とはあくまで定性的(qualitative)な作業であり、定量的(quantitative)な作業ではないのである。
それではなぜ大人ほど天秤のことを忘れてしまうのか?
具体的な数値を使った比較の方が、楽だからだ。比較の都度天秤にのせるより、具体的な数字を集計した方がずっとやりやすい。天秤を使った比較は全作業をリアルで行う必要があるが、体重計の数値公表方式であれば、twitterでも重さ比べが出来る。
かくして数値化信仰の虜と我々はなるのであるが、しかし実際に具体的な数値が必要でない場合も世の中には結構多い。そういうものまで無理矢理数値化するのは数値の無駄遣いである。スカウターがなくとも、戦えば勝敗は付くのだし。
それはそれとして、最初の質問に戻って値付けが必要なのはいつどんなときだろうか? @GkEc の宿題とさせていただいたが、本blogの読者もこれを解いてみて欲しい。
Dan the Comparatively Quantitative Blogger
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。