PHPエディターズ・グループの田畑様より献本御礼。
面白い、のだけど…
それ以上に表記の間違いで眠れなくなってしまった。
本書「面白くて眠れなくなる数学」は、数学そのものを面白がるというよりは、世の中を数学の目を通して見るとこんなに面白くなるよ、という一冊。
目次 - 桜井進 "Journey for Infinity": 「面白くて眠れなくなる数学」発売!より
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「美しく、それゆえ近寄り難きもの」という印象が強い数学に、「数学で見ると世の中こんなに面白くなるよ」というアプローチした点は大いに評価したいし、実際に面白いで「みなさんも是非一読を」と言うのもやぶさかでないのだけど、これはアカン!が一カ所ある。それは「読めそうで読めない数式」。ここで著者は英語で読むと数式は自然かつ簡単に読めることを紹介した上で、「声に出して読みたい数式」と主張しているのだけど…
この英語が、アカンのですな。
P. 23▶数式 「a = b」
▶日本の一般的な読み方「エー、イコール、ビー」
▶英語の読み方 「a equals b.」「a is equals to b.」
Look carefully at the second sentence. Can you see what's wrong there?
「a is equal to b.」ですね。こちらのequalは形容詞(adjective)なので、三人称単数(third party singular)であることを示すsは付かない。これだけなら単なるtypoなのだが、この直後に
英語の二晩目の読みに注目してください。主語である「a」が、「b」と等しいという関係性を「to」が示しています。
と言っている以上、目をつぶりたくとも著者にこじ開けられてしまう。これじゃ確かに眠れなくなる:-p
間違いとは言えずとも「これはちょっと」というのがこちら。
P. 23▶数式 「y' = dy/dx」
▶日本の一般的な読み方「ワイダッシュ、イコール、ディーエックス、ぶんのディーワイ」
▶英語の読み方 「y prime equals dy dx」
今度はどこが問題なのだろうか。実際。
でもこの読み方をしているのだが、その一方、Wikipedia(en)にはこうある。
Derivative - Wikipedia, the free encyclopediasuggesting the ratio of two infinitesimal quantities. (The above expression is read as "the derivative of y with respect to x", "d y by d x", or "d y over d x". The oral form "d y d x" is often used conversationally, although it may lead to confusion.)
「会話ではよく"d y d x"というが、混乱の元となりえる」とある。
確かに"d y d x"では、
のような場合には混乱するだろう。
私自身は、"d y over d x"というと分数と紛らわしいので"d y by d x"と読んでいる。 derivative of y by x という感じがきちんと伝わるのもよい。
そもそも、数式は声に出して読むべきものなのだろうか?
たとえば、これを声に出して読める人ってどれくらいいるのだろうか?

これはあまりに有名な E = mc2 (E equals m c squared) に勝るとも劣らない重要な公式だけど、これをすらすら読める人に私はお目にかかったことがない。すらすら書ける人ならいくらでもいるのに。 I of lambda and T equals 2 h c squared over lambda to the fifth times one over e to the h c over lambda k T minus one. はぁはぁ。しかもこれでも実はあいまいで、「暗黙の()」は暗黙のうちに補完されることを期待して読んでいる。
数式は、英語以上の国際語である。
そして国際語というのは、実は会話できることより筆談できることの方がよほど重要なのだ。 Henry がヘンリーかアンリか知らずとも、 Henry と書ければ Henry と意思疎通はできるのだし、漢字を読み書きできれば中国や台湾や香港ではある程度なんとかなる。実際私が取った物理のクラスのTAたちは英語がまるで話せなかったが、数式はきちんと書けた。これが逆だったら文字通り「話にならない」
P. 30現在、教科書の数式は「絵」ついて扱われています。それが、「絵だから読めなくていい」という発想につながっていると思われます。そうではなくて、数式を文章として、読みものとして扱うという視点の転換が必要だということです。
「読みものとして」は賛成だが、それでは「読みもの」はすべて音読できなければならないのだろうか?コンピュータ言語にも通じることであるが、目と手で読めれば充分ではないだろうか?数式がオーラルではなくビジュアルなのは伊達じゃない。分数でもないのに dy/dx と書くのには立派なわけがあるのだ。どんなわけがあるのか知りたい人は、「今度こそ納得する物理・数学再入門」を。dy/dxと∂y/∂xの違いがとてもよくわかる。
声に出して読みたい言葉は、いっぱいある。
日本語でも英語でも数式でも時にはコンピューター言語だって。
しかし、黙読を覚えた時、我々は確かに一歩進化したのではないのか。
声に出して読むのは小学生までだよねー。
とはいえ、a/b を a over b と読むような、分子を先に読む方の日本語表現は私も欲しい(英語では例えばmv2/2 を one half of m v squared として分母を先に言う方法も一応あり)。私はとりあえず「割ることの」でお茶を濁してはいるが。「マイナス一乗」ってのは中学生以下には使えないし…
Dan the Man with too Many Formulae too Complicated to Read out
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