新潮新書編集部より献本御礼。

あの「人を殺すとはどういうことか」の著者が、このタイミングでこの主題の本を上梓するとはなんというタイミングだろう。

本書「死刑絶対肯定論」は人を殺した罪により、死刑という国家による人殺しの一歩手前である無期懲役刑を受け服役中の著者による、刑罰論、特に死刑論。

目次 - 美達大和『死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張―』|新潮社より
はじめに
第一章 ほとんどの殺人犯は反省しない
普段は大人しそうな人が……/放火、強姦による殺人犯/計画的な強盗殺人犯は「極悪」/喧嘩による殺人/暴力団同士の殺人/気が小さくても人殺しになりうる/倫理も道徳もない連中/他者への共感意識が希薄
第二章 「悪党の楽園」と化した刑務所
イメージと大きく違った現実/新法の施行で待遇が一変/人権派が見落としていること/「経済」の観念が欠けている/受刑者にとって犯罪は「効率」がいい/人生の最期を考えさせる/職人の養成にはちょうど良い場所/報奨金をプールして出所後の生活をイメージさせる
第三章 殺人罪の「厳罰化」は正しい
一〇年一五年は「あっという間」/被害者の命が軽すぎる/加害者の更生より被害者の生命権を/罪が軽すぎる幼児虐待殺人/ヴェテラン受刑者にとっては「遊びに来ている」感覚/アメリカ・イギリスの量刑制度/実情にそぐわない『永山基準』/違和感の残る判決/死刑基準の再設定を/一度人を殺すと殺人の心理的抵抗が減る
第四章 不定期刑および執行猶予付き死刑を導入せよ
反省の度合いを徹底的に測る制度/まず自分自身と向き合わせる/長文のレポートを書かせる/「目標」を持たせる/被害者への賠償を法制化する/刑務所職員の絶対数が不足している
第五章 無期懲役囚の真実
平均服役期間は三〇年以上/「無事故」でいるのは難しい/無期囚同士の奇妙な連帯感/「反省」によって仮釈放に差を設けよ/将来の展望がない者がほとんど
第六章 終身刑の致命的欠陥
囚人を「効率的」に使った明治の日本/欧米の終身刑/終身刑の受刑者は反省しなくなる/刑務所の風紀が悪化する/終身刑は「思考停止」の産物
第七章 死刑は「人間的な刑罰」である
私が出会った二人の死刑囚/死刑囚との対話/死と向き合うことが改悛の情につながる/「世界の潮流だから」は理由にならない/犯罪抑止効果は条件によって変わる/冤罪の問題/「犯行の態様」を熟視せよ/遺族の苦しみは一生続く/粛々と執行せよ
第八章 無期懲役囚から裁判員への実践的アドバイス
「再開」した裁判員制度/「更生の可能性」は考慮しなくていい/被告人の表情を見逃すな/被告人は法廷でウソをつく/「裁判員のカタルシス」より「犯罪行為の責任」を/死刑の求刑を恐れない/裁判官個人の心情に流されない
おわりに

前著には著者の「始末に負えぬ」ぶりにただ圧倒されたが、本書は「著者に関する本」ではなく、「死刑を含めた日本における刑罰」という一般論であったので、かなり落ち着いて読む事が出来た。首肯する事ばかりである。著者の実体験で裏打ちされた理論に反駁できるのは、著者以上の実体験と、著者以上の理論を持つ人のみということになりそうだが、そのような人が日本に存在するだろうか?

特に

P. 32
務めてみてすぐに気が付いたのは、長期刑務所の受刑者達の時間に対する観念の特異性でした。
「一〇年なんて、ションベン刑だ」
「十二、三年はあっという間」
「十五年くらいで一人前」
「早いよ、ここの年月はさあ。こんなもんなら、あと一〇年ぐらいの懲役刑なら、いつでもいいね」
「考えていたのと全然違ったよ。こんなに早く時が過ぎるとはねえ」

という懲役達の声は、著者だからこそ拾い得たもので、まさしく「考えていたのと全然違っ」たものであった。壁に正の字をいくつも書いて、釈放を待ちわびる受刑者の姿はそこにはない。

一冊の本をあえて一言でまとめてしまえば、「日本における刑罰は、刑罰としての機能を果たしていない」ということになる。なぜそうなのかは明白だ。刑罰を科す側が、刑罰が加害者、そして被害者にどのような意味を持つのかを知りもせず、考えもしなかったからだ。

冒頭で「このタイミング」と申し上げたが、もちろんこちらのことである。

千葉さんは、部下である刑務官たちが死刑執行という厳粛な職務に携わる現場を共有した、最初の法相となった。less than a minute ago via web

著者としても「我が意を得たり」ではないのだろうか。

私も、然り。

千葉法相が議員としては落選したとかなどということは、このことに比べればそれこそLB級受刑者にとって(仮)釈放が1年延びた程度の違いでしかない。

この話題に関して、私は書評を含め過去にさんざん自説を述べてきた。詳しくは下の「関連記事」をご覧いただくとして、一番大事なことだけ繰り返すと、民主主義を標榜している国において、死刑を科すのは市民たるあなたであり、私であるということである。法務大臣はその代理人にすぎない。その代理人たる法務大臣が、これまで現場に出向くことすらなかったことは、署名の有無よりはるかに重要なことではないのだろうか?

民主主義に則るのであれば、本当は法務大臣より、裁判員と同じく市民より無作為抽出された死刑執行員が行うべきことだとすら私は考えている。もし自分がその立場になったらどうするべきか。あくまで自分ごととして本書を読んで欲しい。

Dan the Responsible