早川書房様のご招待により、マイケル・サンデル特別講義に行って来た。

そこで出た入試の話。「ある有名校に、出来がイマイチの子供の親が、「2000万ドル寄付するのでウチの子も入れてくれ」と言って来た。入れるのは正義か否か」という話題に、私はこう答えた。

「入れるべき。2000万ドルあれば、その子を入れるだけではなく、教員や校舎や奨学金を拡充して、実力はあってもお金がない子の枠も増やせる。どちらも受け入れられるではないか」

おかげでサンデル教授に「ダン学校」がさんざん再利用される羽目になったのは想定の範囲として、

【備忘】本日の #sandel 教室感想:1)愉しかったー2)傾斜のない大教室はつらいっす^^;3)教授、 @Hayakawashobo さんを考慮してSFチックな話題準備してきた?4)DVD化楽しみ5) @dankogai さんの論に反論思いつこうとしたが時間切れアウト…less than a minute ago via HootSuite

「ダン学校」の運営方針のどこに問題があるのか、自ら答えてみようと思う。

その前に、「ダン学校」の運営方針が別に私の独創でもなんでもなく、およそ私塾であればどこでもやっていたことは指摘しておく必要があるだろう。虎眼先生も例外ではない。

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シグルイ(現在14巻まで)
山口貴由 / 南條範夫原作
「シグルイ」4巻
剣法の奥義の許しには金許し、義理許し、術許しの三つがある

金許しや義理許しがなければ、虎眼先生が藤木源之助を養子にすることも出来なかったのはいうまでもない。そして現在の Ivy League も、入門にあたっては虎眼流と変わらぬこともご存知のとおり。そう。サンデル教授の Harvard も含めて。

着想も悪くない。実績もある。だとしたら一体どこに問題があるのか。

「誰でも入れるようになる」、そのこと自体が「問題」なのではないか。

金持ちの寄付で学校を拡充して入学枠を増やして行けば、いずれは学校は「誰もが入れる」ものになるだろう。s/寄付/税金/gとすれば、それは公立学校ということにもなる。こうすると誰が困るのか?

学校にブランドを期待する人々である。

学校が「誰もが入れる」になってしまったら、「○×学校卒」はもはや差別化要因ではなくなってしまうではないか。だとしたら誰が苦労して受験対策などするだろう。

そのとおり。

それでよいではないか。

そもそも学校とは「できない子をできるように」するための「高速道路」であって、「できる子」に「卒業生」というブランドを配布する場所ではないはずである。元々できる子だけを集める学校は、学校というものの機能を考えれば「良い学校」とはとても呼べない。学校はできない子をできるようにしてなんぼなのではないか?

もちろん高速道路を利用するためには運転免許が必要なように、高校や大学も「ここで学ぶのにあらかじめここまでは学んでおかなくてはならない」を設定し検査する必要はあるだろう。「うちの子はまだ九九が出来ないけど大学に入るのは当然の権利だ」という主張は私にも受け入れられない。しかしそれをクリアーした人であれば本来誰でも受け入れるのが学校のあるべき姿だと私は思うし、そうなっていれば「受験勉強」などという本末転倒もなくなると思うのだがいかがだろうか?

Webはすでにそうなっている。ぐぐるのに入試はいらない。iTunes Uの受講はすでに三億件を突破したそうだ。学ぶ気になればいつでもどこでも学べる時代がもう来ている。そう。学校に行かなくても。

そういう時代にあって学校を運営するとはどういうことなのか。

それこそが、サンデル教授の本当の問いなのではないだろうか。

Dan the Dropout