本日は暑い中「成毛眞×小飼弾@MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店」にお越し頂きありがとうございました。
本日は私にとって良縁の日でした。みなさんにお会いでき、成毛眞さんと初めてお話できた後に、本書にも出会えたのですから。
これ、欲しかったんですよ。「オイラーの贈物」が復刊される前は、同じぐらい入手困難になっていたようで、20刷を超えるロングセラーなのにずっと未入手状態だったのです。それが三冊も置いてありました。しかも棚の配置から供給を絶やさないようにするという店の意志がきちんと伝わる形で。
本書「虚数の情緒」は、私がこれまで読んだ中で最も熱い--暑苦しいほど熱い--数学本にして物理本、にして、真の意味での自己啓発本。 Penrose の The Road to Realityが cool の代表なら、こちらは hot の代表。
目次 東海大学出版会|書籍詳細>虚数の情緒
第I部 独りで考える為に第II部 叩け電卓!掴め数学! |
第III部 振子の科学 |
その熱さは巻頭言から索引に至るまでの1000ページにわたって途切れなく続く。
さあ諸君。勉強を始めよう勉強を。数学に限らず、凡そ勉強なんてものは、何だって辛くて厳しい修行である。然し、それを乗り越えた時、自分でも驚く程の充実感と、学問そのものへの興味が湧き起こってくる。昔から、楽して得られるものなんて、詰まらないものに決まっている。怠けを誘う甘い言葉は、諸君に一人前になって貰いたくない、という嫉妬である。思い切り苦労して、一所懸命努力して、素晴らしいものを身につけようではないか。
これに続くのは、巻頭言を通り越して檄文である。マヂでこの後著者は切腹しちまったのではないかと心配になってしまったほど。もちろんその後も大作をものにしてくことを頭ではわかっていても、体がびびってしまうのである。正直夜道で著者と出くわすのはこわい。この調子で「勉強を始めよう勉強を」と言われたら、不惑過ぎのオッサンの私でさえ、おぼこ娘よろしく「キャー犯されるぅ」と金切り声で叫んだあげく110番してしまいそうである。
しかし、それこそが著者の情緒なのである。
本書はその迸る熱いパトスの赴くまま、読者を自然数の初歩から有比数(有理数)へ、有比数から無比数へ、無比数から実数へ、そして実数から虚数(imaginary number)へと誘い、そして虚数が虚でも想像の産物でもなく「実存」であることをシュレーディンガー方程式で示しつつ、ファインマンの経路積分まで至るのだ。あの eiπ = -1 ですら、本書において重要な、しかし単なる、通過点である。
その分説明は「稠密」ではなく、eiπ = -1 にしても ex ≒ 1 + x + (1/2)x2 という近似を使った推察に留めており、「そうなるような気がするだろ?その予感は正しい」という形で納得はさせても証明にはいたっていない(だからこそ「オイラーの贈り物」がある。)。さもなければ「わずか」1000ページでこれだけの内容は盛り込めない。その点において、本書は、"to convey to the reader some feeling"を狙った"The Road to Reality"の兄弟本である。
感嘆を通り越して唖然とするのは、著者の勉強ぶり。学習というより、文字通り、自らを勉めて強いる姿勢。本書の内容は、文章数式図版はもとより、なんと偉人たちの肖像画まで著者の手描きなのだ。そのことをしらなければ、ジャギーの目立つモノクロのこれらの絵だけ見て、「なにこの素人」と勘違いしてもおかしくない。しかしこれも立派な理由あってのことなのだ。
P. 971 - 972本書は、定価を下げる為、徹底的にこの事に挑む為に、"例によって"製本以外のすべての作業を著者自らの手で行った。出来には決して満足していない。もっと安くて良いものを、写真や図、グラフ、実験データなど、さらに充実させる事は可能だと思う。但し、これには些かお金が掛かるのである。本書は、ありったけの力で個人の限界にまで挑んだ積りではあるが、短編映画一本に数億円の金が動くと聞かされれば、どうして基礎科学の研究や出版に補助金が出ないのか、とついつい考えてしまう。読者の殆どの方は知らないであろうが、ピタゴラスやプラトンなど、誰が描いたか分からないような肖像画でも、勿論、版権が存在しそれを利用するのには相当のお金が必要なのである。一枚に二枚ならどうともなろうが、沢山の科学者、文化人を紹介しよいうとすれば、あっという間に書籍定価を上回ってしまう。
本書の上梓は2000年。まだ Wikipedia がなかった時代の産物である。
またこの間、あらゆる交際を断ち、日毎増していく前からの腰痛、後ろからの腰痛に耐え、最高二十時間、平均でも一日十数時間を、執筆に捧げた。"異常な日常"は、ついに視力を半減させるに至った。
あなたの死を決して無駄にはしません…って生きてるって(笑)。
しかし何が著者をここまで突き動かしたのか。こういっては何だが、本書の「内容」はすでに先人たちによって証明されたものばかりである。なぜ著者は車輪の再発明を厭わぬどころか「はい、喜んで!」やってのけたのか。
その思いを、この情熱的で饒舌な著者は、あえて自らの口ではなくファインマンを引用して答えている。
P. 920「僕は、世界中の誰も答えを知らなかった問題を解いた経験は、唯の一回切りしかないんだ!」と。
学ぶ=まねぶの限界は、ただまねぶことによってしか到達できない。
そしてそれだけが、「内容」を超えて「情緒」を得るたった一つの冴えたやりかたなのだ。
この情緒は、本物だ。
虚数が、実存であるが如く。
Dan the Yet Another Wheel Reinventor

空間表示法で、デカルト座標ではなく、極座標表示というイノベーションがなされなければ、虚数もベクトルも研究は進歩しなかったかもね。
生物学の酵素化学だって、ミカエリス・メンテンの式やラインウェーバー・バークのプロットが(単なる思考作業によって)発見されていなかったら、この分野の進歩はひどく遅れていたはず。
コンセプト上の(ちょっとした)イノベーションというのは本当に大切ですね。