新潮社三辺様より献本御礼。
今年読んだ経済本の中で、最も納得感の強い一冊。
特に、「なぜ経済成長していない日本の円が高いのか?」という一見不可思議な現象に対する答えは、本書が一番説得力があった。
もっとも私は本書の指摘に全て同意しているわけではない。特に不同意なのは、理論ではなく現況認識。プログラムが同じでも、入力が異なれば当然出力は異なるように、理論が同じでも現況認識が異なれば自ずと答えも変わってくる。
本書「貨幣進化論」は、元日銀マンの経済学者による、貨幣の現在・過去・未来。
岩村充『貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム―』|新潮社より目次を見てもわかるとおり、本書は理論中心の本文と、エピソード中心の「パネル」からなる。記述がまとまりを欠き、読みにくいとの意見もあるようだが、むしろ私はこの無理にまとめようとしない著者の姿勢に好感を抱いた。そう。「まとめ」。これこそが、貨幣の最も重要な機能にして、貨幣の最も暴力的な姿なのだから。そこにおいて、1万個のカップヌードルと乗用車一台が同じということになる。「リンゴとみかんを比べる」という、小学校の算数であればありえないことが、貨幣を通すと可能になる--ように錯覚してしまう--のだ。
このあたりの面白さは本書をお読みいただいた方が早いし速いのでそうしていただくとして、この下りには文字通り禿同--同意しすぎて頭がはげ上がる--読者も少なくないのではないか。
P. 225要するに、日本政府とは世界的にみると異様なほど恵まれた顧客基盤の上に胡座をかいている独占企業のようなものなのです。そして、当たり前のことですが、そうした国の株価ならぬ貨幣価値は、短期的な要因ではなかなか下落しません。
で、本書の副題である「「成長なき時代」の通貨システム」である。著者の認識と私の認識で最も異なるのは、ここだ。
著者の認識は、すでに(少なくとも日本は)成長なき時代に突入しているというものである。
P. 269-270もちろん、古いと言っても、何千年も何百年も前というわけではありません。ただ、飛行機、電力、高速鉄道、コンピュータ、そして化学薬品や原子力に至るまで、私たちを取り巻く基幹技術を作り上げている数々の原理と発見と考案の時期は、十九世紀の終わりから二〇世紀初頭の数十年に集中しているように思うのは私だけではないでしょう。それに比べると、私たちが大技術進歩の時代だと思っている二〇世紀半ば以降の数十年に得られた原理は、どうも限られたもののようです。ライト兄弟の飛行機は一九〇三年に二百六十メートルの距離を飛行しました[ママ]。その飛行機が一九三九年に始まる世界戦争の帰趨を決めたわけです。ところが、私たちがジャンボジェットと呼んでいるボーイング社の747型機は、初飛行した一九六九年から四〇年以上たった今も国際線の主力機の一角を占め続けています。そうした事実を見ると、現代は応用の時代ではあっても、画期的な原理発見の時代ではなくなっているように思えます。
成長が「より大きくより多く」しか意味しないのだとしたら、著者の主張は正しい。私自身以前「404 Blog Not Found:マクロエンジニアリング受難世代」という記事を書いてこのことを指摘している。
しかしこの41年--そう、私の人生と全く同じ時間だ--は、成長は「逆方向」にも可能だということを示した時代でもある。「より小さく、より少なく」。そして「未接続が接続に」コンピューターが「パーソナル」になり、スタンダロンがインターネットに。この成長がいかにすさまじいものかも、「404 Blog Not Found:まずは日銀よりはじめよ - 書評 - 日本経済復活 一番かんたんな方法」で触れている。もし「トランジスタ本位制」なるものがあったとしたら、この41年は未曾有のハイパーインフレ時代だったということになるし、それは逆に円ドルユーロといった普通の貨幣を基準にすればハイパーデフレ時代だったということだ。
そしてこの傾向は、今のところはまだ続いている。「より小さく」の方は現在の「光で回路を半導体にプリントする」という「画期的な原理発見」の遺産ではこれ以上進み難いところまで来ているものの、その難点は「より多く」で克服されてつつあり、成長の限界はまだ見えない。
とはいえ、それ以外の方向において、成長の余地以前に成長の必要性そのものがかつてほど切実ではなくなったというのもまた事実であり、著者が言う
そうだとしたら、私たちが予想する貨幣の未来図の中には、いずれ来る成長屈折の可能性を織り込んでおいた方が良いのではないか、そんな気すらもしてくるわけです。
という時代は、私より若い人、いや私自身でさえこの目で見ることは充分ありえると考えている。だから「弾言」を書いたと言っても過言ではない。少なくとも「モノ」に関しての成長はさほど望めないし、また望む必要はないのだ。
世界中がそうなった時--貧困が博物館行きとなり、その一方世界の人口増加が止まった時代にも、貨幣は「モノ」主導のままでいられるか?
いられないのだとしたら、どのようになるのか。
この点において、著者と私の見解は再び一致する。
しかし皮肉かもしれないが、「成長なき」時代を呼び寄せる一番の方法は、そこまで成長することなのである。
日本だけ見て、それに達したというのは早すぎるのではないか。
Dan the 1969er

例を挙げれば、かつてのねじ巻き式ぜんまい駆動腕時計と現在のデジタル式クォーツ腕時計。どれほどのもの(機械部品)とエネルギー(人間の注意力も含む)が情報に置き換わったことか。それによって、どれほどコストが下がり、機能が向上したか。
これからも、ますますおおくのモノとエネルギーが情報に置き換わって、経済が「スリム」で二重の意味で「スマート(身軽で賢い」)」になると思いますよ。