紀伊國屋書店有馬様からの献本ですの。
以下のtweetを見てそうしてくださったみたい。
男は女より単純な生き物だと思うが、そこまで単純化したら彼とどう違うんだい?> @yuco: @ntakamura 上野千鶴子のミソジニーに関する本を最近読んだのですが、男って基本的に女は嫌いなんだな、それが彼のような人の支持層なんだろうなって思います。
よく見るとこのtweetに答えが半分書いてあるけど、前から不思議だったの。
なんで、「女性フェミニスト」のみなさんは、ああも賢しく、そして狭いかって。
彼女たち、男女しか見てないのよ。
本書「女ぎらい」の副題は、「ニッポンのミソジニー」。「三十路に」じゃないわよ。ミソジニー、miso(嫌い)+gyne(女性)で女性嫌悪。男にとっては「女性嫌悪」、女にとっては「男性嫌悪」なのだそうだけど、一つ伺ってもよろしいかしら。
みなさんは、寝ても覚めても、ゆりかごから墓場まで、常に女、あるいは男なんですか?
私は覚めているときに女になることはまずないのですけど、寝ているときは結構女になったりしますよ?数ある人格の中には女性人格もおりますし。
でもそれ以上に、「性別不能」人格や、「性別不要」人格もいるのですわ。
特に、プログラムを書いているときとか自然科学の本を読んでいるときの人格は、「不性格」としかいいようがございませんわ。Acme::JapaneseAvActress中の人のとかAcme::Oppaiの中の人とかはどうなのか存じ上げませんが:-p あたしはこうした時自分の性がなんなのかは忘れておりますし、他の方の性別も忘れております。この世界、AutrijusがAudreyになったり、おそろしい子ではあってもおそろしい女なのかおそろしい男なのか100%確証を持って言えない方もふつうにいらしゃいますし。
なんですが、著者に言わせると、そういうのは「男」ってことでひとくくりにされちゃうのよね。
P. 23男を見ていると、かれらは女といるときよりも、男同士でいることのほうがもっと好きで、気持ちよいのではないか、と思わされることがよくある。女の値打ちは男に選ばれることによって決まる(と考えられている)が、男の値打ち女に選ばれるtことによっては決まらない。その点では、異性愛の秩序は、男と女にとって非対称にできている。男の値打ちは何で決まるか?男同士の世界での覇権ゲームで決まる。男に対する最大の評価は、同性の男から、「おぬし、できるな」と賞賛を浴びることではないだろうか。時代劇に出てくるように、刃を交えた好敵手から鍔迫り合いでにじりよられて、この言葉を耳元で囁かれたときの、ぞくぞくするような快感にくらべたら、女からの賞賛などなにほどでもない--と思うんじゃないかと、男でないわたしにはよくわからないが、そう推量するだけの根拠がある。
思わず「上野、おぬし、できるな」って言っちゃいそうになっちゃいますけど、だったら「あずみ」とかどうなっちゃうんでしょ。まああれはあくまでフィクションなので「男の幻想」の一言であずみばりに一刀の元に切り捨てようと思えばそうできるんでしょうけど。
でもですよ?
それって、「男だから」そうなのではなく、「できる人」がたまたま男だったという可能性には思い当たらないんでしょうかね?
例えばあたしは Perl プログラマーですから、誰に一番「おぬし、できるな」って言って欲しいかといえば、 Larry Wall ってことになりますよね? Larry はおちゃめでかわいい生き物ですけど、男でもあり Perl 以外にも 四児の父であり祖父でもあります。が、もしあたしが COBOL プログラマーだったら、その相手は Grace Hopper 以外にはありえないのよ。 COBOLのおばちゃまに一声かけられて、ジュンっとこない COBOLer なんていますか? まあ鬼籍に入られたのでそれはもはや夢の中でしかかなわないのですけど。
プログラミング言語ではなく自然言語ともなると、「できる人」の割合は完全に逆転してますよね?特に日本語はそうで、古の紫式部や清少納言から現代の 宮部・中島両みゆきに至るまで、「おぬし」と言われたいあの人はあの女(ひと)たちであってあの男たちじゃないんです。
で、最近つくづくこの思いを強くしているんです。
ヒトって性差が小さい生き物だよなあ、って。
もちろんもっと小さいのもいますよ?鳥類の多くとかオオカミとか。だけどアザラシほどじゃないし、親戚のゴリラやオラウータンと比べてもヒトの性差って小さいんですよ。鳥類とかと比較すると性差が綱レベルでずっと大きくなりがちな哺乳類 = Mammals = 母類!にあって、こんな小さな差でよく済んでるなってぐらいに。
これは、あまりものの性である男性としてはありがたいことです。ボスザルでなくても居場所があるんですから。あたしはむしろこの性差が小さ目だったことが、「あまりもの」だった男性の有効活用につながり、それがヒトが「霊長」を自称できるようになった一因だったとすら仮説してるんですね。オスどおしでつるむって、他の霊長類だとほとんどありえなかったりするじゃないですか。
♂が、あんまりオスオスしてなかったからそうなったんじゃないですか?
あずみの兄弟たちのように、殺し合わずにすんでいるのは。
むしろ対してますらおでもないヒトの♂を競い合わせているのは、♀たちといったら言い過ぎかしら?少なくとも♂に負けない♀ほど、♂にますらおであることを望んでいるというように、本も統計も言っているようにあたしには見えます。
オビより書き手にとってと同様、本書は多くの読者にとって、女にとっても男にとっても--とりわけ男にとって--不愉快な読書経験をもたらすだろう。なぜならそれは多くの男女が目をそむけていたいことがらの一つだから
その言葉、そのままそっくりお返ししますわ。
女である前にヒトであること。ヒトである前に霊長類であること。霊長類である前に哺乳類であること。哺乳類である前に脊椎動物であること。脊椎動物である前に従属栄養動物であること。従属栄養動物である前に生物であること。そして生物である前に宇宙の一部であることを、これほど華麗にスルーできるのでしょう?
あたしはニッポンから見てもあなたから見ても男ではありますが、そんなのあたしが私であることと比べたら取るに足りないことなんです。「フェミニスト」のみなさん、たまには自分の性を忘れてみたらいかがです?
なかなか気持ちいいですよ?
Dan the Man -- or am I?
男が性的主体の地位に立つために、それ以外の性を異化・排斥する様態を、セジウィックっていう人のホモソーシャルの概念を使って説明してるんだろ。
あとさ、俺にはよくわからないんだけど、「数ある人格」なんて書いてあるんだけどさ、そのわりには書いてあることがあまりに統合的すぎる。
人格がたくさんあるのに、この本を読んでいるときは一致団結して「ボクは性差なんて気にしてないぜ」ってなったの? っていうか、リンク先も読んだけど、この人にとって人格って、パペットマペットが一人二役やるみたいなことなんだろうか? 全然わからない。
あ、あと、本のレビュー自体はピーマンの中身みたいに空っぽですが、上野千鶴子著『女ぎらい』はもっと中身があるし、意識して男性向けに書かれた本なので、男ほど読みやすいよ。