やっと入手した

大笑いした後に、ふと思い立った。

表裏を問わず、このように紙の形で辞典が出ることが、今後あるのか、と。

本作「現代語裏辞典」は世界で最も日本語に愛された人が編んだ、ゼロ年代日本語版<悪魔の辞典 。著者は「悪魔の辞典」の邦訳に飽き足らず、自ら辞書を編んでしまった。全てを自分で書いたのではなく、全12,000項目のうち2,200項目は著者が主催するAsahiネットの会議室に投稿されたものではあるが、喜寿にしてこの蒐集力は喜寿というより鬼寿ではないかと感嘆せずにはいられない。

と同時に、もはや一人あるいは少人数の編者がこつこつと編んだものを製本する時代は終わりを迎えつつある印象も同じぐらい強く受けた。たとえば項目数であれば、Uncyclopediaは15,000本を超えているし、内容の面白さという点に関して本作にひけを取らない。Twitterでハッシュタグを作れば、一週間、いや下手すると一日で必要な項目は埋まってしまうだろう。

著者が頼もしいのは、そういったことも想定の範囲内な点である。本作の各項目は、ほぼ全てがTwitterの一Tweetにおさまるぐらい短い。実際公式アカウントは現在本辞典の各項目を定期的につぶやく(手動?)botにもなっている。たとえば、こんな感じ。

はんこつ【反骨】権力を激怒させぬ程度の反抗。less than a minute ago via web

別の言い方をすると、ある項目に収まるのはあくまでこの分量であり残りは捨てられるということである。そして何を入れ何を残すかという点において、編者はそこに作品としての個性を残すことが出来る。個々の項目は誰が言ってもおかしくはないが、12,000もあればそれが筒井康隆であることは誰の目にも疑いようがない。佐々木俊尚によれば、現在はキュレーションの時代だそうだが、一流のライターが一流のキュレイターを兼ねることは稀である。筒井康隆という存在は、なんたる偶然の産物であることか。ちなみに本作は偶然を「自然による必然」と定義している。

だから、辞典のソーシャル化、クラウド化も、表裏を問わず「偶然」なのだろう。表に関してはもはやソーシャル化したものがデファクトスタンダードである。裏は個性がものをいう以上、もう少しがんばれるかも知れない。しかし本書ですら

ちょくやく【直訳】 (1)あるか、ありません…つまり問題(Yahoo翻訳による「ハムレット」)

という具合にその影響を受けている。ちなみに本entry現在、この直訳は

あることになっています...それは、問題です。

と一段とそのハラホロヒレハレユカイ度を増している。

本書はあることになっています...それは、問題です。

まだ問題になっているうちに、入手されたし。

Dan the Dictionary Editor of His Own