本書の副題は、「--若者たちへ--」である。

が、本書の言葉に最も耳を傾ける必要があるのは、むしろかつて若者だった者たちなのではないか。

本書「生き方の練習」は、塩野七生が母として語った言葉を文書化した数少ないエッセイ。なぜ少ないか。それは彼女が本書で若者達に向けたこの言葉に、常に忠実であったからだ。

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 対決は、たいへんけっこうで、それをやらなければ両世代とも真の充実は期待できないほど大切なのだが、やるからには堂々と、各世代とももつ唯一の武器、理性と論理を駆使して対決すべきであろう。;それ意外の武器を使うのは、勝負として穢いし、まずもって、同じ土俵上で対決することを拒否して、勝手に土俵から降りてしまうことと同じである。こういう場合、スポーツでも不戦敗といえど敗けなのだ。
 男でも女でも、くさって悪臭しか発しないような、感情的な対立はやめたらどうであろう。理性的な方法で「対決」することこそ、世代の断絶をほんとうの意味でなくす、唯一の方策だと信ずる。

これこそが、著者の魅力であることは、著者の諸作品を通読してきた読者であれば100%首肯すると断言する。著者はいわゆる「女の視点」というものをまず作品に持ち込まない。著者が老若男女のいずれに該当するかは、作品の本質にはなんら寄与しないからである。

しかし寄与するともなれば、躊躇なく、しかしこの方針を逸脱しそうで逸脱することなくそれを使う人でもある。

わが友マキアヴェッリ」より、ニコロの妻マリエッタの手紙を評して
 いやはやまったく、亭主は丈夫で留守が良い、などと思っている女たちとは大ちがいである。
 そして、これは、夫をほんとうに愛している妻の手紙である。史料の裏付けがあろうがなかろうが関係なく、私も女であるから、これは断言できる。女にとっては、まず息子が一番なのだ。どんなに夫婦仲がよい関係でも、息子が一番にくるのでは変わりはない。その大切きまわりない息子を。あなたにそっくり。などとは、夫を愛している女でなければ絶対に言わない。それも、よほど惚れていなければ、口にしない言葉である。マリエッタ・コルシーニは、夫のマキアヴェッリを愛していたのだ。

これを見た時には、男というのは母の視点を持てぬ以上、絶対女に敵わないと脱帽したものだ。と同時に、「塩野センセ、これ、反則じゃん」とも感じたものだ。しかしそれに続く文章を読めば、この発言は必然かつ理性的な方法で読者と対決するものであることがきちんと理解できる。マリエッタの手紙とそれに続く文章は、ここで引用してしまうにはあまりにおいしい。自分の目で確認していただきたい。スポーツも文章も、ラインぎりぎりのところが一番面白いのは同様で、著者はこういう場合きっちりライン内側に入れてくる。

で、本題である。著者の主張は世代間対立多いに結構。しかし対決は理性と論理をもって、ということであった。実例でいえば、「ローマ人の物語 II ハンニバル戦記」のファビウスとスピキオのやりとりなどがこれにあたるが、しかしこの対決は、両者ともこのルールに従うことでようやく成立するのだ。

で、今まさに両者の中点にいる中年の私が見るところ、ルール違反はむしろ年長世代の方に顕著に見られるのだ。

資本主義はなぜ自壊したのか
 もう一つ、最近、国民の不評を買ったのが「後期高齢者医療制度」の導入である。七十五歳以上の高齢者を対象に、年間六、七万円程度の保険料を年金から天引きするという。
 たしかに老人医療費の増大は深刻な問題ではあるだろう。だが、厚労省によって「後期高齢者」と指定された人たちは日本が経済大国になるうえでの立役者に他ならない。いかに財政難だとはいえ、そのような功労者に対して、いきなり保険料を年金から天引きするという過酷な政策を打ち出すのは、国家として正しいあり方だろうか。
 むしろ、どんな知恵を使ってでも「日本社会に対する貢献に感謝して、これから医療費はすべてタダにいたしますので、安心して余生をお過ごしください」とするのが為政者というものであろうし、「敬老の精神」というべきものであろう。
団塊漂流
 私の考えは、どちらかというとお年寄りの考えに近い部分があります。
 それはやはり、現在七〇歳代、八〇歳代で年金をもらっている人たちは、自分の父母の世代で、彼ら彼女らが、それこそ戦争前後の日本の混乱の中で、ほとんどの人々が食うや食わずで、子育てに一生懸命だった姿を、何らかの形で直接見聞きしているからです。
 現在のように安定した時代に伸び伸びと育ち、自分の老後のことなどを考えられた世代とは違います。ですから、この世代の人々の根金はなるべく税金の心配などせず安心して、老後の生活をできるようにしても、いいのではないかと思うのです。

はっきり言ってこんなのばっかりである。理性と論理と統計を自在に駆使する若手論者たちの言動に慣れた私には、くさって悪臭しか発しないような、感情的な対立の主因は年長世代にあるようにしか見えない。

私も今や子を持つ身でもあるので、世代間闘争はいまそこにある危機でもある。彼女たちの母に、こういいきかせる機会も増えて来た。

まず君がやろうよ、と。

そして私がやろう、と。

いいきかせているのは、そうしないといとも簡単に自分のことを棚に上げてしまうから。これは全世代に共通したヒトという生き物の宿痾であるが、その害がどちらにとって深刻化といえば、より年長でより裕福な方であることは、200万年前も2000年前もそして2010年の今も同じなのだ。

だから、今度は著者に表していただきたい本は、「--後輩たちへ--」なのである。

Dan the Middle-Aged