筑摩書房松本様より献本御礼。
もう何度目の「メディアを変える」かわからないけれど、今度の「変える」は、具体的には「Web化する」の総仕上げであることは多分間違いない。「USTREAMが変える」のは、最も高情報量かつ高同時性を持つメディア、すなわちTV生放送なのだから。
その意味において、本書は「メディアを変える」ものの集大成としての意味を持つ。Webはメディアをどう変えてきたか?「マスへのメディア」を「マスによるメディア」に変えて来たのである。「による」ところである、マスたる我々には必携の一冊なのではないか。
本書「USTERAMがメディアを変える」の著者は、こんな人。
P. 50過去筆者は、テレビ放送に乗せるコンテンツを少なくとも1000本ぐらい作ってきた。いちいち数えて来たわけではないが、計算するとそのぐらいにはなっているはずである。
この点が、本書にも何度も登場するそらのこと佐藤綾香との違いである。USTREAMそのものに関しては、今や日本のUSTREAMの女王の感すらあるそらの本人による「USTREAMそらの的マニュアル」の方が充実していて(こちらも献本御礼)、あなたもUSTREAMで放映するというのであればこちらが適書だが、USTREAMによる放映とTVによる放映の何が違うか、そしてそれにどのような意味があるかを考察したいともなると、時間軸に奥行きがある本書が最適書ということになる。
と書くと、本書は実にお固そうな一冊に聞こえるが、心配ご無用。前書「CONTENT'S FUTURE」より、本書はずいぶんとゆるく書かれている。たとえばこんな具合に。
P. 42録画番組の制作では、ある程度時間をかけて取材・撮影し、そのなかで一番いいものを選んで編集してゆく。当然放送に出るまでに、放送時間の何倍もの時間をかけて吟味され、またその内容に関していくつものチェックが設けられ、失敗した部分のやり直しもできる。したがって内容がきちんと整理され、人に何かを伝えるという意味では、時間的に効率がいい。もちろん制作時間が長くかかるので、その代償として制作スタッフのやる気と睡眠時間とコーヒーと家族の幸せが大量に犠牲になっているわけである。
そう。ゆるく。これはメディアがWebによって変えられた時代において、最重要の心得ではないかという思いを私は日々強くしている。
本書では、マスへ向けた(少数による)メディアの現代表であるTVというのがいかにゆるくない世界であるかを、本書はずいぶんな紙幅を割いて説明しているのはこれが理由ではないか。何百万人もの視聴者と何千万円もの予算を前にしては、マスメディアというのはゆるくしようがない。生放送でさえきっちり台本があり、出演者に遅くとも数日前から出演の打診があり、当日には送迎のハイヤーが出演者の玄関先で待っている。
これが、USTREAMではこうなる。
近々で万単位のビュー数を集めたユーストリーム番組に、二〇一〇年三月に行われたNHK放送記念特番にぶつける格好で放送された、「激笑 裏マスメディア~テレビ・新聞の過去~」がある。トータルで一四万ビューを記録した。 出演者は元ライブドア社長でSNS株式会社ファウンダーの堀江貴文氏、ジャーナリストの上杉隆氏、アルファブロガーの小飼弾氏、ネット上では「切込隊長」として知られる山本一郎氏に、司会の津田大輔氏を加えた面々である。そしてドワンゴ会長の川上量生氏も、遅れて飛び入り参加した。ネットの有名人がこれだけ同時に集まったということ自体も珍しいが、アイデアが出たのはわずか二日前、会場を小飼弾氏の自宅と決めたのが放送の二時間前という、ぎりぎりのタイミングであった。
マスメディアをマスゴミ呼ばわりする人々が忘れているのは、自らがメディアを持つということがかつてメディアの中の人々だけが負ってきた面倒や責任を追うことを意味していること。マスメディアと同じようにそれを負ってしまっては、それこそ「やる気と睡眠時間とコーヒーと家族の幸せが大量に犠牲に」なってしまうことになる。作る方もゆるくやってこそ持続するというものだ。
見る方には、さらなるゆるさが「要求」される。USTERAMはしょっちゅう回線オーバーになったり画質が落ちたりするが、TVなら確実に放送事故として扱われ担当者たちが詰め腹を切らされるこうした不備も、今のところは「ネットなら仕方がない」という形で大目に見られている。
実のところ、USTREAM以前にもストリーミングは長らく存在していた。私がCU-SeeMeのreflectorを顧客の要望で立ち上げたのは1995年のことだった。しかしそのころには「いずれ画像品質はTV並かそれ以上になる」という技術的な見立てはあっても、それが普及するのに真に必要だったのは「ネットというのはこういうゆるいものなのだ」という利用者の理解だったということは当時誰も知らなかったはずだ。利用者の心構えを「ゆるめる」のに、これだけの時間がどうしても必要だったのだと今は納得できる。
それでは今後どんな「変える」があるのだろうか。
これは予測ではなくむしろ願望なのだが、こうして最もネット的に難しかった生中継もWeb化されたことにより、やっとネットと「オールドメディア」がシームレスに融合される基礎ができたのではないか?
確かに「続きはWebで」に見られるようにオールドメディアも、Webがある世界をすでに受け入れてはいるのは確かだ。しかし例えばネットで過負荷になったWebストリームを、「続きはTVで」ということは行われていない。いくらブロードバンド時代とはいえ、ネットは何百万人も同時に同一コンテントを受け取る目的には全く向いていない。4Mbpsもあれば1080Pの動画だって見れるが、「たった」100万人でも4Tbpsになってしまう。10億人なら4Pbps。放送 = broadcasting であれば必要な帯域幅は4Mbpsのままなのに。
コデラノブログ4 : 「Ustreamがメディアを変える」発売記念裏話 - ライブドアブログネットは様々な事象を記録していくけど、案外ネット自身のことを記録してないんじゃないかな。
これは、メディアがまだシームレスに統合されていないことの傍証の一つだろう。
そうなった暁にはどうなるか。
お楽しみは、これからだ。
Dan the Stream(er|ed)
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