「あ、つながった!」

これがあるから、本は何冊も同時に読みたい。

一冊だけでは絶対に気づけない発見がそれで得られるのだから。

きっかけは、こちら。

[書評]ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である(いしたにまさき)- 極東ブログ
アンケートはこんな感じ。
  • いちばん好きなWebサービスは何?
  • これまで一番衝撃を受けたWebサービスは何?
  • ネットで情報発信する際にいちばん必要なスキルとは?
  • ネットで発信する際に心がけていることは?
  • 収入面での変化はあった?
  • それはネットをはじめて何年ったってから?
  • ブログのアクセス数を増やす努力はしている?
  • ツイッターフォロワー数を増やす努力はしている?
私ことfinalventもアンケートに回答してる。

何を隠そう、このアンケートは私のところにもきた。

しかし私は答えなかったのである。

確かに私はアンケート(questionnaires)の類いは苦手だ。「アルファブロガー」(笑)ということもあって、たいていの人より多くその類いが来るということもあるのかも知れない。だからといって全く答えないということもない。たとえば「さあ、才能に目覚めよう」の Strength Finder だって一種のアンケートなのだが、こちらは嬉々としてやった。この違いは一体なんだろう?自問自答してみた結果はこうだ。

成果に対して報酬があるかどうか、ではないか。

率直に申し上げて、「ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である」のアンケートは、答えた後に答えた私が何を得るかイマイチ見えなかった。それに対して Strength Finder の方は「自分の強み」という「成果」が得られる。この「成果」は「質問に答える」という「苦行」を経ないと「取得」できず、そしてどのような結果が得られるかは「質問に答える」という過程に依存する。

これがないと、「やる気」が出ない。

「やる気」がないと、「続かない」

ここで注意したいのは、それで得られる報酬額には「やる気」はさほど依存しないこと。それを行動経済学を使って改めて証明したのが、「不合理だからすべてうまく行く」。先日増補版が出た「予想どおりに不合理」の続編であるが、前著が主に個人のふるまいに関して考察していたのに対し、本書では「社会人」、すなわち社会における人のふるまいを考察していて、ゆえに一段と面白いものになっている。

目次
序 章 先延ばしと治療の副作用からの教訓
第1章 高い報酬は逆効果―なぜ巨額のボーナスに効果があるとは限らないのか
第2章 働くことの意味―レゴが仕事の喜びについて教えてくれること
第3章 イケア効果―なぜわたしたちは自分の作るものを過大評価するのか
第4章 自前主義のバイアス―なぜ「自分」のアイデアは「他人」のアイデアよりいいのか
第5章 報復が正当化されるとき―なぜわたしたちは正義を求めるのか
第6章 順応について―なぜわたしたちはものごとに慣れるのか(ただし、いつでもどんなものにも慣れるとは限らない)
第7章 イケてる? イケてない?―順応、同類婚、そして美の市場
第8章 市場が失敗するとき―オンラインデートの例
第9章 感情と共感について―なぜわたしたちは困っている一人は助けるのに、おおぜいを助けようとはしないのか
第10章 短期的な感情がおよぼす長期的な影響―なぜ悪感情にまかせて行動してはいけないのか
第11章 わたしたちの不合理性が教えてくれること―なぜすべてを検証する必要があるのか

高すぎる報酬の逆効果は、本書の第一章に登場する。その知見の一部は「モチベーション3.0」にも登場するが、こちらは著者が専門家だけのことあって、説得力は一枚上だ。

勘違いして欲しくないのだが、「報酬を与え過ぎるな」は決して「報酬は与えるな」ではない。「モチベーション3.0」も、「平均以上の給与は与えよ」と言っている。「平均以上」だと全員は無理だという私の著者に対するつっこみはすでにCOURRIE誌でしたのでさておき、ここでいう報酬は「やってもやらなくても得られる」固定給ではなく、「やらないと得られない」成果報酬のことである。

この成果報酬はどのような形で与えるのが望ましいか?以下は本の要約ではなく私の思いつきである。

  1. やった者だけが「それ」を得られること
  2. 「それ」の形は、「やり方」を反映していること
  3. 「やりにくい」ものをやりとげるほど、得られる「それ」はレアであること

この三つの要件さえ満たしていれば、実は報酬は貨幣価値ゼロでも人はやってしまうのである。

「え、そんなことない」?だとしたら人はどうしてゲームにはまるのだろう?いくらハイスコアを更新しても、基本的にはビタ一文手に入らないのに。人とやれば貨幣が手に入るかもしれない麻雀や花札やポーカーですら、「得点」しかくれないコンピューターを相手に延々とやりつづけたりもする。パチンコの「中毒性」はそれが「お金が手に入るかも知れないギャンブルだから」で全て説明がつくのだろうか?

お金じゃない。我々が本当に欲しいのは、「ごほうび」なのだ。

そして「ごほうび」に関して言えば、一度に一億円もらうより、一万円もらえるゲームを一万回やる方がうれしいのである。

この点に関して、私はごく普通の「行動経済人」だと感じる。だからこそ本blogで本を紹介しつづけられるのだろう。出来上がった記事と反響こそが「ごほうび」なのだ。時に有償で書いている連載よりもblogを、あるいはblogよりもtwitterの方が「続いてしまう」のは、上記の報酬法則により合致しているからだ。有償の連載で得られる報酬は記事の出来不出来に関わらず一定だが(もちろん一定以下だと打ち切りという「罰則」が待っている)、blogのそれはアフィリエイトの収益として直に反映される。そしてtwitterの方は、「やりとげて」から「報酬を得る」までの時間がblogよりもさらに短いのだ。

なぜネットの内外を問わず、成功しているのは〈やめない人たち〉人たちなのか?

行動と報酬のサイクルを、なんとか上手くゲーム化したからではないか?ゲームの得点を得られるだけでも儲け物。そのうちのいくつかは本当に金銭的価値を持つ報酬となる--ようなのだ。

驚くなかれ、ブッダですらこのメソッドをよしとしているようなのだ。

くじけないこと」P. 174
 ゲームは、アルゴリズム(目的を達成するための処理手順)によってつくるものです。アルゴリズムに詳しい人は、好き勝手にゲームを変えることができるのです。
 人生にもアルゴリズムがあります。仏教は、そのアルゴリズムを発見して語る教えです。

同書には「剃髪も袈裟の色も、自転車置き場の議論だ」という趣旨の発言も登場する。悟るというゲームにとっては取るに足りないことなのだから、一番面倒がないものにしてしまえというのがその理由というわけである。そんなのドット絵で充分。3DとかCPUとGPUの無駄遣いという感じか。

というわけで振り出しに戻って弾言しよう。

長いアンケートに嬉々としても答えてもらうには、キャンディー程度の報酬を用意すれば足りる。

キャンディーだとかえって面倒なので、iTunesやAmazonやその他もろもろのポイントだとどうだろう。何ならはてなポイントだっていい。いい年こいた現役上場企業の役員ですら、「はてなポイント3万を使い切るまで死なない」という理由でblogをつけているではないか(笑)。いい年こいた元上場企業役員であれば、なおのこと。

「続けよう」と思うから続かない。

「次をやるとごほうびがもらえ、しかしそこでやめてしまうと次のごほうびが見えない」というゲームにすればいい。

やめない人たちが何をやめないか。

たかがゲームである。

されど、それだけがやめない秘訣なのである。

最後になったが、この三冊はいずれも献本である。これも弾というナマケモノを奔らすに足りる、確かなご褒美。あらためて御礼。

Dan the Lazy, Impatient, and Hubristic