ここに来て高校無償化の対象に朝鮮学校を加えるか否かという「問題」が浮上してきているようだが、私に言わせれば「おやつは300円以内」のおやつにバナナは含まれますかと同じぐらい些細な問題に見える。
もっと単純で明快な解答があるのだから。
高校を公金で無償化するのではなく、その公金を、中学卒業者に対しその後三年間に渡って一律同額、直接支給するようにするだけである。
利点1:「高校生とは誰か」問題が無問題化する
なぜ「高校生」ではなく「中学卒業者」かといえば、高校は義務教育ではないからだ。「高校無償化」の受益者は高校生だけだが、それゆえに「朝鮮学校はその対象となるのか」などという「問題」が出てくるし、それ以前に「高校に行かない者」は受益者ではなくなってしまう。
404 Blog Not Found:高校無償化 - 高校行かなきゃダメですか?高校進学が事実上の義務教育となって久しいとはいえ、それはあくまでも「事実上」であり、それを選ばなかったり選べなかったりしたものは少なくないし、少なくとも朝鮮学校への進学を選ぶ者よりずっと多い。 朝鮮学校 - Wikipedia1970年代初頭には4万6000人を数えた全国各地の朝鮮学校の生徒数は、2004年度には1万1500人[20]、2008年2月時点では1万1000人まで落ち込んでいる。また、朝鮮籍子弟が朝鮮学校に通う割合も年々減少し地域によって差があるが1~3割といわれている[20]。高等学校卒業程度認定試験 - Wikipedia高認に合格しただけでは最終学歴は中卒のままであるが、合格者には高卒と同等の扱いが与えられるようになったことや、受験が年に2回に増やされたことなどにより、受験者数は毎年増加傾向にある。大学入学資格検定(大検)が最後に行われた平成16年度は、出願者が24,960人であったのに対し、平成20年度は33,264人と、4年間で133%に増加した。彼らには、何の手当も与えられないのだろうか。今回も高校の義務化までは踏み込んでいない以上、学校外で学ぶ彼らに何もないというのは釈然としない。
同額直接支給にするだけで、この問題は雲散霧消する。
利点2:導入の手間暇が遥かに少ない
対象の口が学校から個人になることで、口数が増えるので手間が膨大になるかといえば、それは大いなる誤解である。機関(institution)どおしのやりとり(いわばB2B)というのは、実のところ機関-個人(B2C)より、機関内の合意形成プロセス(根回し)がある分遥かに手間がかかるのである。実体験してみればこれはわかる。
あのややこしいエコポイントですら、高校無償化よりはるかにスムーズに導入されたのは、これが理由である。B2Bでは双方のBが納得しないと話がすすまないが、B2Cの場合、Bの一存で決められる。ビジネスにおいてCは金を払う側なので「買うか買わないか」という形で「合意形成」するのであるが、この場合にもC側のオプションは二つしかない。そして今回は金の流れが逆なので、C側の合意は事実上不要である。
利点3:給付対象者をより大人にする
現金支給というと、必ず「それを遊興費に使ってしまうのでは」というママゴンな意見が出てくる。実際そういう受給者も出てくるだろう。
それが、いいのである。
一旦受け取ったら、それをどう使うかは受給者の責任。
これに対し、高校無償化において、最終受益者である高校生たちに対する責任は、高校。
どちらが受給者に考えることを迫るかといえば、前者に決まっている。
無料の最大の問題は、それを使っても使わなくても利用者の「痛み」は変わらないということである。授業にまともに取り組むインセンティブは、現状ですら公立と私立の間には歴然とした差がある。だからこそこの少子化時代にも受験戦争が残っているのであるが、率直なところ高校無償化しても、そのありがたみを実感できる高校生はどれほどいるのか。親にはありがたいが、親にありがたいということは相変わらず子をガキとして扱っているということである。
大人とは、自分で自分のことを決める人である。
我々は彼らを大人にしたいのではないかったのか?
さすれば、大人は彼らに路銀のみを渡し、どこに旅するのかは彼らにまかせるべきである。
かわいい子には、旅をさせよ。
高校無償化の現況にないのは、旅である。
Dan the Lucky Dropout
貧困者の教育サポートが一番の理由だとしたら、本当は、収入の低い高校生をもつ世帯への生活保護が一番妥当なんでしょう。
それが行政コストのせいでできないからバラまくというのは、あまり妥当ではなく、最終的にはBasicIncomeのような形にすべきものでしょう