双方とも出版社より献本御礼。

出版にすでに関わっている人はもとより、これから関わろうという人も必読。

出版とは一体なんなのか、両著者ほど長期、そして数奇に学んだ人はいないのだから。

電子書籍奮戦記」は、電子書籍という「貧者の一灯」を、18年にわたり守り続けて来たMr.電子出版、萩野正昭の自叙伝。そのMr.電子出版が運営する ボイジャーストア には、「小さなメディアの必要」という本が無料でおかれている。この本の著者である津野海太郎が、「いまはせいぜい5年か十年の目盛りで考えていることを、百年、さらには千年の目盛りによって考えた」結果が、「電子本をバカにするなかれ」。

両書を併読すると、出版というものの原点が見えてくる。出版というのが何のためにあり、そして誰のためにあるのか。あるいは、出版というものは何のためではなく、そして誰のためではないか、が。

出版物にとって商品であるというのは氷山の一角に過ぎず、そして出版者にとって本とは単なる商材ではないのだ。

「電子本をバカにするなかれ」P. 107
こうして一方にインターネットという公共の場に本を無料で提供するおびたただしい数のひとびと(作者)が出現し、他方では本を無料で手に入れ、それを読んだり読まなかったりする新しい読者層が形成される。こういう関係は二〇世紀には存在しなかった。すなわち同人誌とか運動パンフレットなどのごくわずかな例外をのぞけば、二〇世紀の「本の世界」は商品としての本の売り買いによって成立していた。出版はそのことで、小なりとはいえ、ともかく産業であった。

しかし「出版産業」というのは、「出版界」の真の姿ではないのである。もしそれが本当に「産業」であったとしたら、レーザーディスク株式会社という「産業界」を飛び出しボイジャー・ジャパンを設立した萩野は、18年どころか18ヶ月ももたなかっただろう。

「電子書籍奮戦記」P. 16
 多種多様な内容のものを世に送り出すのが出版本来の役割だと私は考えています。
 ただし紙に印刷するにはそれなりの費用がかかります。本を保管する在庫費用もかかる。こうした事情から、人々の多様な超え、貴重な記録が、これまで十分に、世に伝えてきたとは言えません。出版社が費用に見合わないと判断すれば、自費出版しない限り、それを刊行することはできません。
 しかし、電子出版を出版するのに、紙の本のような資金を用意する必要はありません。電子書籍は本質的に、小さなもののためのメディアなのです。私はこれまで電子書籍を、地道な庶民のメディア、また困難な中にあって声を発する手段だと考えてきました。これが私なりの「視点」です。

「小さなもの」とは、著者たちだけではない。出版社もまたそうなのだ。いや、出版社こそそうなのだ。

「電子書籍奮戦記」オビ
奇妙なアメリカ人との出会いから、いつしか始めた電子出版という仕事。儲かり始めたのはここ数年。借金と保険未加入の日々は「貧格」と笑うしかなかった。侮っていた携帯電話に救われ、周囲の物好きな(失礼!)人々に助けられ……ついにインターネット・アーカイブと出会う。大企業の寡占する世の中なんて、つまらない。小さくても、言いたいことある奴の声を拾い上げていこうぜ。

津野海太郎にならって、百年、さらには千年の目盛りによって考えた上で弾言しておく。

出版という行為は、貨幣経済が発展的に解消した後も残る、と。

金というものが今の通信のように、「(プロ以外は)使用量を気にせず使える」時代はいつか来る。「電話かけ放題」と「金かけ放題」との距離はみんなが思っているほど遠くはない。

そして How much が問われなくなった時にこそ、これがあらためて問われるのである。

What do you have to say?

だとしたら、電子出版というのは「新しい出版のありかた」というより、「本来の出版のありかた」ではないのだろうか?

You are not how much you have. You are what you have to say.

Dan the Small One