徳間書店高嶋様より献本御礼。
独りでがんばるのに疲れた人は、これを読むとよい。
親がいる人も、いない人も。
家族に頼れる人も、頼れない人も。
本書「大丈夫、がんばっているんだから。」は、児童養護施設で育ち、苦学の末大学を卒業してからNPO法人 日向ぼっこの創設するまでの著者の人生を著者自ら語ったもの。
P. 150高齢者には誰でもなるから世の中での関心も高い。障がいのある人には、代弁してくれる家族がいる。家族から見放された有権者でもない子供たちのことは、もと子供たち自身が声をあげていかなくてはよくなりっこないんだ…
本書を読了して、著者をはじめ児童養護施設で育った子供たちが少しだけうらやましくなった。著者が童養護施設で育った時期というのは私が家出を繰り返していた時期とも重なる。それでも私が児童養護施設に行かなかったのは、ダメ親だったのは片方だけということと、住んでいたのが田舎だということ、そしてなにより私も母も児童養護施設がどんなところかを知らなかったということだろう。それがどのようなところであるかを知るだけでも、本書を読む価値がある。以下のスレは、概ね事実のようだ。
しかし同時にこうも思う。もし児童養護施設に入ったら、私はこれほどがんばったのだろうか、と。おそらく私はそこの平和とぬくもりに安心して、外を目指そうという気を起こさなかったのではないか?日々の平安と引き換えに、家庭という反面教師を得たことは、少なくとも私にとっては「結果オーライ」ではあった。
しかしそれはあくまで結果オーライであり、なぜ結果オーライになったかといえば私が心身共に人一倍頑丈に出来ていたからだ。著者はそうではない。いわゆる「強い人」からはほど遠い。実際「日向ぼっこ」を創設してからも、自殺未遂を一度起こしていることを著者は隠さず本書で吐露している。
そこが、よい。
「逆境で生まれ育ち」というエピソードはフィクション・ノンフィクションを問わず巷に溢れているが、正直「強い人」の手によるものが多すぎると私は感じている。それはそれで勇気づけられる人もいるけれど、それでは「どうせ弱い私にはムリ」と思い込んでいる人にはかえって言葉が届かなくなってしまうのではないか。
がんばるというのは、強い人よりも弱い人にとってこそ必要なことなのだから。
P. 208「がんばれ」というのは、今の状態が充分でない人に対して掛ける言葉で、その人のことを否定しているように感じる。その人を元気付けたいのであれば、「応援している」という言葉が私にはしっくりくる。
しかし、「がんばらない」は現状に満足している人でないと使えない言葉であって、経験の乏しい若い時や、家事や子育て・仕事に打ち込んでいる時にはなかなか言うことのできない言葉だと思う。いつか「がんばらない」と言える時期が来るように、それまではがんばる必要がある。
世の皮肉は、がんばりの必要と効用がある人ほど、孤独にがんばらねばならないことにある。親の庇護がない分人一倍がんばらねばならぬ子らは、褒めてくれる親なしでそれをやらなければならない。彼らの本当の不利はそこにこそあるのではないか?
だから私もいうことにしよう。誰にも言ってもらえなかったこの一言を。
大丈夫。がんばっているんだから。
Dan the Die-Hard
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