コミPo!製作委員会委員長田中圭一様より献件?御礼。

ソフトウェアのすごさは、いかにすごくない人がすごいことを出来るかどうかで推し量れる。コンピューター言語からゲームに至るまで当てはまる真理だと思っている。

だとしたら、これはすごいとしかいいようがない。

絵が全く描けない人に、マンガという表現手段がもたらされたのだから。

本作「コミPo!」は、コミックシーケンサー。「初音ミクが音楽にもたらしたものを、マンガに」というのが委員長の弁を、まさに体現したものとなっている。

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左は、パッケージの表紙にある四コマを、秀作代わりに私が描き直したものである。この間わずか5分。本ソフトウェアをインストールするよりも速い。

いや、正確に言い直そう。私は一本の線も描いていないのだから。

「サルにも描けるまんがソフト」どころではない。描かなくても、マンガが出来てしまうのだ。

いや、極言してしまおう。

マンガとは、描くものではなかったのである。

振り付けるものだったのだ。

今までは、振り付けるためには描くしかなかっただけだったのだ。

その意味において、本作ウェアの意義は、ヴォーカロイドより大きい。ヴォーカロイドは歌を簡単にしたけれども、音楽そのものは変えていない。ユーザーが楽譜を打ち込むという点において、MIDIと変わるところはない。つまるところMIDIに「ヴォーカル」という「楽器」が加わった「だけ」なのだ。歌付きの音楽はそれで簡単になったけれども、音楽の作り方まで変わったわけではない。新曲を作るのに必要な才能は、ミク以前と変わらない。

しかしコミPo!は、マンガの作り方まで変えてしまう。というより、「マンガを作るとは本当はこういうことだったのだ」ということを、白日のもとにさらしてしまう。

本作ウェアは、ゆえにマンガの再定義でありマンガの再発見なのだ。

もちろんコミPo!で作られたマンガというのは、どこか作りものじみている。ボカロ作品と同様に。しかしこれはこれでよい。むしろ「本マンガ」との棲み分けもこれでやりやすくなる。本作は決して「描ける人」をお払い箱にするものではない。

しかしblogが我々にもたらしたのと同様の力を、本作は秘めている。blogは今まで文章を公開する力がなかった人々にそれをもたらした。コミPo!はそれをマンガで出来るようにするのだ。


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もちろん現時点では課題も多い。「モジュール」、特にキャラは少なすぎるし、動作プラットフォームはWindowsしかない。しかも3DにDirectXを使っていることが災いしてか、VMWare Fusionでは右のように越谷先生がガングロになってしまう。Boot Campでは正常に動く。実際上の方はMacBook Airで作った。Parallels など、他のエミュレーターではどうだろうか。CDで配布して、26桁のライセンスキーを打ち込ませるというのも前時代的ではある。

しかしこれらの課題は、ヴォーカロイドで見られた取り組みと同様のとりくみで時が解決するだろう。ミクの後にリンやレンがルカが続き、先日にはついにiVOCALOID-VY1でiPadにもデビューを果たした。iコミPo!が出たら「本家」よりも爆発的に売れるだろう。日本はもとより、世界中に。

そのためにも、まずは本バージョンが売れてくれる必要があるが、これは買いなのか?

買いだ。

使ってみれば、わかる。

本作は、「一線を超えた」ということが。

「こうすれば、描かなくともマンガが作れる」という解にまで、本作がたどり着いているということを。

これで一万円弱とは、安すぎるにもほどがある。

リーマンショックの逆風の中、身銭を切り続けてここまでこぎつけた委員長に、乾杯!

Dan the Newbie Comic Sequencer