新潮社堀口様より献本御礼。

「もの言えば唇寒し」。これに類似する諺はどの国にもあるが、ロシアのそれは修辞抜きで致命的に寒い。それでもなお、彼らはものを言うのだろう。

もの言う人々は、改めて本書で確認しておくべきだろう。

ものが言える世界は、血で賄われていることを。

本書「暗殺国家ロシア」は、ロシアの新聞社ノーバヤガゼータの奇跡を追った、A Journal of Journalism.

オビより
ソ連が崩壊し、ロシアは「開かれた国」になるはずだった。だが――。政権はメディアを牛耳り、たてつく者は次々と不審な死を遂げる。白昼に繰り返される射殺、ハンマーでの撲殺、そして毒殺。犠牲者は権力批判の最前線にたつ記者だった。屍を乗り越え、不偏不党の姿勢を貫こうとする新聞社に密着した衝撃のルポルタージュ。
目次
プロローグ 2つの襲撃
第1章 悲劇の新聞
第2章 奇妙なチェチェン人
第3章 告発の代償
第4章 殉教者たち
第5章 夢想家たちの新聞経営
第6章 犯罪専門記者の憂鬱
第7章 断末魔のテレビジャーナリズム
第8章 学校占拠事件の地獄絵図
第9章 誰が子供たちを殺したか
エピローグ 恐怖を超えて

1992年創立の同紙の発行部数は、わずか27万部。しかし日本の一地方新聞程度にすぎない同社がその短い歴史の中で支払った命は、六名。権力におもねらない報道に対して政権が取る対応に東西はないことは Wikileaks を巡るニュースを見るだけで伝わってくるが、それでも「西側」においてジャーナリストが支払うのは「せいぜい」職であったり身柄であったりに留まる。「干される」という奴だ。

しかし、ロシアでは本当に殺されるのだ。

彼らが何をどのように報じ、そしてどのように死んでいったかは本書で確認していただくしかない。それを要約したり再構成したりするだけの技量も覚悟も私にはないのだから。

だけど、知ってもいるのである。

崔杼弑君」の一言が自らの命よりも重い人が、古今東西必ず出る事を。そしてそういう人々が歴史を紡いできたのだということを。

本書は単純な「おそロシア」な話でも、「ジャーナリスト魂」でもない。ライフワークだけではなくライスワークのこともきちんと書いてある。命さえ賭ければ書き続けられるというほど、ジャーナリズムは単純な世界ではないのは、「西側」とて同じこと。この点に関しては「西側」の方が問題は深刻であるかも知れない。

Страха Нет, No Fearという一言は、そういったものを全てひっくるめた上のものである。

「編集長のムラートフは『ノーバヤ』を刊行する時、政治の記事は紙面の一番最後でいいと言っていたのです。彼は、ロシアの普通の人々の喜びや悲しみを生き生きと伝えるような記事を中心に据えたかった。しかし残念ながら、政治的な大事件が次々に起こる今のロシアでは、経済に大きく紙面を割かざるを得ない。でも、ムラートフはいつか、政治のニュースが小さな扱いですむ日が来ることを待ち望んでいます。」

日本がまさにそのようであるのは、努力よりは幸運の賜物ではあるのだろう。だからこそ、努力が必要な国と人々のことに思いをいたす必要があるはずだ。一旦それを失ったら、今度血を流す羽目になるのは我々なのだから。

Dan the Blogger of the West