初出2010.12.24; 追記2011.08.18
なにこの天和大三元的なバカ2面白さ!
と同時に、心配になってきた。
原作者あとがき私は麻雀を全く知りません。
やったことは一度もありません。
正直、これまでの人生でやりたいと思った事は一度もありません。
役とか点数とか覚えられる自信が微塵もありません。
ぶっちゃけめんどくさい。
そんな無知識で、連載大丈夫か?
というわけで、原作者に麻雀の魅力を伝えるつもりで一荘、いや1 entry打ってみる。
本作「角刈りすずめ」は、「魁!!クロマティ高校」x「ぎゅわんぶらあ自己中心派」とでも言えばいいのか…。今年読んだ中で最もバカ2しい漫画。それだけにいつネタ不足になるのか気になる。役満しか知らない人が麻雀を打っているような怖さがある。続いて欲しいのでチュン、じゃなかった中の人にはメンタンピンなネタも作れるようになることを祈らずにはいられない。
私と麻雀
かくいう私も、もう何年も人相手に麻雀を打っていない。母に教わったので物心ついた時には打てるようにはなったが、今でも点数計算はあやしいし、フリーで打ったこともない。「某幹部をハコにしてそれをカタに某社にひっこぬいた」という噂もあるようだが、都市伝説である。
そんな私にも、麻雀は面白い。打つのもさることながら、なぜこんなに人気があるのかを考えるのも。
ドラマと麻雀
麻雀ほどドラマのネタにされるゲームというのも他にないのではないか。
漫画はそれが特に顕著で、専門漫画誌があるのは麻雀だけである。野球やサッカーや囲碁や将棋すらそんなものはないというのに。しかも麻雀漫画が掲載されているのは専門誌だけではないのである。「咲-Saki-」も前述の「ぎゅわんぶらあ自己中心派」も連載は一般誌である。「サルまん」でも固有ジャンルとして一話まるまる麻雀漫画に割いている。
なぜ麻雀はこれほどまでにドラマの源泉として豊穣なのだろうか?
勝者と敗者のはざまに
麻雀の特徴の一つは、四人でやるゲームだということ。二人でも三人でも実は出来るのだが、基本は四人。よって勝負は白黒ではなくグレーが存在するし、一回戦(元々一荘=四周が単位だったが、日本ではその半分が主流になり、いまでは東風戦(こちいくさではなくとんぷうせん)といってさらにその半分の一周も)の間にも、単にトップを目指すだけではなくボトムを避けるという、勝つではなく負けぬを目指すという闘い方もあって大変多様である。
逆に言えば四人そろわなければプレイできないということでもあり、どうしても一人で打ちたければいわゆるフリー雀荘に行くしかなく、そしてフリーで打てば「まあじゃんほうろうき」よろしくケツの毛までむしられるというおっかないイメージの源泉でもあったのだが、コンピューターの登場でそれが一挙に変わることとなる。
コンピューターも相手になる
麻雀がコンピューターに移植されたのは早い。PC-8801シリーズの時代にはもうあったとおぼろげに記憶している。今では麻雀ができないプラットフォームはないのではないかというぐらいさまざまな麻雀プログラムがある(GNU麻雀がないのがなぜ?)。マンガと同じく確実に一定の市場が見込めるジャンルであり、私が中国で立ち上げた某社子会社の最初の製品も、ケータイ用の麻雀ソフトだった。
しかも今では無料で遊べるものも少なくない。フラッシュで実装されたものであればMacやLinuxでも遊べるし、iOS用のも複数ある。特におすすめなのがiPadで、本当に牌を打っている感覚に最も近い。
そしてネットのおかげで、今や自宅にいながらにして人間相手に打つこともできる。今や麻雀はひきこもりでもプレイできるゲームなのだ。
ルールは複雑だが
原作者も指摘するように、麻雀のルールは確かに複雑だ。役も何種類もあるし、点数計算もややこしい。ローカルルールも何種類もある。これは麻雀をプレイする時のみならず、麻雀を実装するときにも問題になる。中国でもこれで(私がというより中国人プログラマーたちが)苦労したし、今でもバグに出会うことが少なくない。たとえばこんな風に。
二萬でロンにならないのはロン外なはずなのだが…
「コンピューターのおかげで古いものが復活をとげた」というのは、漢字に通じる。
単純な原則
しかしただ複雑なだけのルールだったら、これほど普及することもなかっただろう。原則は実に単純である。
まーじゃんとかーちゃんの違いを教えて下さい頭がないとあがれないのが麻雀
頭があがらないのが母ちゃん
根本は、一つのペア(頭)と四つのトリオ(面子)を最も早くそろえたものが上がりというゲームで、この点に関してはポーカーやポンジャンと変わるところがない。乱暴にたとえれば、ポーカーが俳句なら麻雀は短歌といったところだ。
例外は七対子と国士無双だが、「まーじゃんとかーちゃんの違い」はこの点でもすばらしい。この例外ですら頭はあるのだから。
難しい点数計算も、最近の全自動麻雀卓であれば雀卓がやってくれるそうだし、麻雀ソフトやネット麻雀であればもちろんコンピューターがやってくれる。「1000点基本で1翻ごとに倍、満貫以降は2翻ごとに次の段階」程度の理解でも十分楽しめる。
ノミ上がり10回よりハネマン1回
麻雀は、いかに数多く上がるかではなくいかに多くの得点を獲得するかというゲームである。いわゆる最も安いノミ上がりの1000点を10回上がっても、親の満貫ないし子のハネマン(12000点)一回の方が上だということだ。
その代わり、高得点で上がるのはそれだけ難しい。これは高得点を競うゲームの鉄則であり、その起源は麻雀かも知れない。
ただし役と得点の関係はかなり目分量で割り振られていることもあって、上がりにくいのに低得点なものもあればその逆もある。チャンタ三色なんてかなり難しいのだが満貫にしかならず、それよりずっとありえるメンタンピンツモドラ二にあっさり負けてしまう。
一枚では意味ある牌なし
前述の通り、麻雀は頭+四面子をそろえるゲームである。別の言い方をすれば、一枚だけで意味がある牌は存在しないということである。「つなげて」はじめて意味があるのだ。
麻雀がポーカーやポンジャンと最も異なるのは、牌によってつなげ方に差があること。数牌は順子(三連続)にもなるがそれだけでは役がつかず、字牌には刻子(同じ牌)でないと使えないがそれだけで一翻つく。
このトレードオフをどうするかが麻雀の醍醐味でもあるのだが、ドラの存在でこの原則が崩れやすくなり、さらに最近では赤牌が使われるようになってさらに「牌間格差」が大きくなったのは、純粋に腕を競いたい人には嘆かわしいことかも知れない。
流局という名の締め切り
もう一つ麻雀に特徴的なのは、流局という、「上がった人なし」という結果が存在すること。13枚の手牌から初めて山から18枚、他家が捨てた牌を最高4枚まで駆使しても、誰も上がりの形を作れないこともある。それもかなり。
この場合でも点数のやりとりが生じるのが麻雀の面白さの一つで、上がり一歩手前、テンパイまで行った人は、そうでない人から点を取れる。いわゆるノーテン罰符は「ノミ上がり」と同じく千点。一人しかテンパイしていないのであれば3,000点もらえることになる。これが結構ばかにならなくて、全局流局、全員ヤキトリでこれで勝負が決まってしまうことさえあるのだ。
リーチに二言なし
日本の麻雀の特徴は、ドラとリーチ。麻雀は実は上がり(和了)の形を作るだけではだめで、最低限の役を一つは盛り込まなければならなくて、これをー翻縛りというのだけど、テンパイになったら、「リーチ」と宣言するだけでこの縛りを逃れられる。というかそれが役扱いになる。
もちろんただ宣言するだけではだめで、
- まだ鳴いていない状態であること
- 場に1000点差し出す事
- 一度宣言したら、手を返られないこと(厳密にはカンを除く)
- 自分が上がり牌を一枚でも捨てていたら、ロンできずツモるしかなくなること(フリテン)
といった条件をクリアーする必要があるのだけど、役なしでも上がれる、裏ドラが期待できるなど制約を誓約する見返りは大きい。コミットメントを評価するというのはビジネスにも通じる。
一場一会
「麻雀の数学」によると、麻雀の初期状態、すなわち山の牌の組み合わせは実に 4326983917428472638101383050337421318825898800140279809429117995909720365098503388909186259061603322 46611492154251485203537706583203911528927630102575646500000000000000000000000000000000 通り。4.3×1018とはまさに超天文学的な数字で、しかもこれはあくまで初期状態の数であって、場がその後どう展開するかまでは考慮していない。
別の言い方をすれば、同じ場というのは二度とないといっていいということ。これでは飽きる方が難しい。
選択とは、捨てることと見つけたり
上がるまでは、牌を一つ取ったら、必ず牌を捨てなければならない。
ツモでもポンでもチーでも。カンですら。
どんな牌が来るかは選べない。選べるのは何を捨てるかだけ。
選択というものの、これは本質ではないか。
運と実力
運も実力もあって、はじめてドラマは成立する。
その点において囲碁や将棋といった、実力が全ての完全情報ゲームはきわめて不利である。だからドラマ化する時には、どうしてもゲームというテキストではなくゲーマーというコンテキストに焦点を当てざるをえない。「ヒカルの碁」しかり、「三月のライオン」しかり。
逆に運だけでは、ドラマには全くならない。純粋なギャンブルほどドラマにならないのは当然だといえる。せいぜいドラマの背景どまりだ。宝くじもパチンコも競馬も競輪も競艇も。
一度は麻雀を禁じた中国がスポーツとして公認したあげく五輪の種目にしようとしたのもうなずける。単なるギャンブルのネタとしては麻雀にはドラマがありすぎるのだ。
こんなおいしいネタを、使わずにはいるのはもったいない。
「面前」もいいけど、それでハコになってしまうのは見るにしのびない。
すずめなのだから、鳴く方がいいのであれば麻雀というゲームそのものから鳴いてほしい。形式テンパイ前のかけこみポンチーばりになりふりかまわずに。
もちろん、喰った後には歯磨きを忘れずに。
Dan the Casual Player Thereof
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追記:
@dankogai (中国ルールや関西のブーマンではないと仮定すると) フリテンで出上がりはチョンボです。一、二、四萬待ちで一萬を捨てているのでもし出上がればチョンボです。 QT @dankogai: チョンボの理由をkwsk。風で1翻ついてるのに
あ、確かによく見たら。警告が出るソフトもあるけどこれは出ないタイプ。
これほど揺らぎがあるとは。フリテンはサッカーのオフサイドじみている…
しかし、麻雀は奥が深くて面白いですよね。