ソーシャル社会が日本を変える」なる本が献本されてきた。恐縮ながらこれほど頭痛が痛いタイトルは2011年のタイトルだけ大賞にノミネートせずにはいられないが、代わりに何と呼べばよいか。しばらく探していたいたのだが、よさそうなのが見つかった。

瞬縁社会というのはどうだろう。

これを見た時、その言葉が内から出て来た。

集まりや盛り上がりを支えるもの - レジデント初期研修用資料
エジプトのデモ広場を案内する記事を見ると、水場やトイレどころか、病院から幼稚園まで準備されていた。テレビで放映されたデモの映像には、人々が集まった真ん中に正円形のテント村が写っていて、集まった人がなんとなく作ったものにしてはずいぶん整った形をしていたのだけれど、実際に現場で行われていたことは、想像をはるかに超えていた。

これを見て何を思い出すだろう。

私が思い起こしたのは、コミケだった。

どちらも数十万オーダーの参加者を実に見事に組織化している。しかしそれ以上に特徴的なのは、どちらも「リーダー」の姿が見当たらないこと。

それなのに、いやそれだからこそ、どちらの社会もきちんと機能しているのではないか。

素人は火力を考える。プロは兵站を考える。

プロのはしくれとして、私もそう考えていた。しかし最近はその考えを改めつつある。

兵糧と輜重兵が十分以上いる場において、あと足りないのは連絡だけなのではないか、と。

なぜ組織にリーダーが必要だと考えられてきたかといえば、まさにこの連絡を確保するためだ。上意下達というのは実に効率のよい連絡手段である。それゆえ強靭さを要求される組織に愛用されてきた。その最たるものは軍隊だろう。

その代わり、上意下達組織には、必ずリーダーが弱点として存在することになる。それゆえいくら構成員が健全でも、リーダーが堕ちてしまえば組織も墜ちてしまうし、それ以上にリーダーが操られてしまえば組織もまた操られてしまう。なぜ「世界最初の民主主義国家」である米国が、国外では独裁者を支援しまくっていたかといえばまさにこれが理由だ。

しかし、組織の構成員たちに、「独裁者」には及ばずとも「その場限りのリーダー」になれる程度の知恵があったらどうか?

あとは組織の構成員たちが自由に連絡できる「場」さえあれば、組織は動くのではないか。

このことはネットではすでに証明されている。P2Pである。BitTorrentというプロトコルがある。P2Pプロトコルの中では現在最も使われているもので、ブラウザーのOperaもサポートしている。

BitTorrentには、三種類の「構成員」がいる。Tracker、 Seeder、 そして Leecher だ。ファイルを配布したい者は、そのファイルの「ラベル」に相当するトレントファイルを作成し、ファイルをBitTorrentクライアントで公開した上で、トレントファイルのみを配布する。このクライアントを Seeder と呼ぶ。ファイルを欲しい者は、トレントファイルを入手した上でそれを自分のクライアントで開く。これが Leecher だ。するとクライアントはトレントファイルに記述された Tracker に Seeder がどこにいるかを問い合わせた上で、 Seeder からファイルを入手する。そしてファイルを入手し終えた Leecher は、今度は Seeder となる。ファイルは一度にダウンロードされるのではなく断片ごとなので、Leecher は複数の Seeder から同時に断片を受け取ることができるし、そしてファイルを全部ダウンロードし終えなくとも断片を受け取ればそれは即時に Seed される。そしてこのファイルのやりとりは、クライアントを何らかの形で終了させるまで続く。たいていは一定時間ないし一定容量seedしたらクライアントは終了させるが、いつまでも seed しっぱなしにしておくこともできる。

今回カイロで起きた事は、まさにこれではないか。ここで市民は Leecher かつ Seeder となり、ソーシャルネットワークが Tracker となったというわけだ。Tracker が track しているのは、「だれがどこにいる」かだけ。実際の資源配分は、市民どおしが直接行う。

漠然と「マネジメント」の能力には違いないのだけれど、あの市民革命を支えた裏方には、人や物の流れをきちんと手助けできるだけのノウハウを持った誰かが間違いなくいて、その人たちが集まった人を手助けしたからこそ、2週間という長い期間の間、集まった人たちの熱意が持ったのだと思う。

いや、いない。「平均以上」のノウハウをもった人たちは当然いただろうけど、「フィクサー」であることを自他ともに認めるレベルの人はどこを探してもいない。タハリール広場にいた人々は、「自分の持ち場を守っていた」だけではないのか。

だからこそ、独裁者にはどうすることも出来なかったのだ。

拘禁すべきフィクサーもオーガナイザーも不在なのだから。 Seederの一つや二つ落としたところで Torrent が墜ちないように。

これまでの組織的運動は、まず社会という骨組みを作るところからはじめていた。まず縁があり、その縁を通じて行動が伝播する。縁を結ぶコストは高く、縁を切るコストはさらに高い。そのため一度結んだ縁は使い回しにされる。しばらくどころかむばらくは。縁者たちはたとえその行動に疑念を抱いていても、絶縁を恐れるがゆえに行動をともにする。

ところが、ソーシャルネットワークが縁を結ぶコストを劇的に下げてしまった。運動に必要な社会は、運動しながら作れるという状況が現実になったのだ。戦闘がはじまってから兵站を確保するという芸当が本当に成立するようになってしまったのだ。

静的static永続的persistentだった縁から、動的dynamic一時的instantな縁に。

弾言」より

瞬縁社会instant societyと呼ぶのにふさわしい。

存在価値を問われる仲介業者=地方議員 - Chikirinの日記
強引すぎる手腕と、自身への批判をモノともしない胆力のあるリーダー無しには世の中は何も変わらないのです。

そのような者がいなくても、エジプトは変わった。イランもそれに続くのだろうか。

リーダーがいなくても変われる、いや変わらざるを得ない社会。

そこで求められるのは、リーダーではなくシーダーではないか。

長くなったので、リーダーとシーダーの違いについて考察するのは別の機会に譲ることにしよう。

ただ最後に一つだけ指摘しておきたいのは、瞬縁社会においては、「いつやるのか」以上に「いつやめるのか」が重要だということ。リーダーによって主導された革命が必ずリーダーの独裁者就任で終わるのは、結局のところリーダーというものが「やめられないとまらない」ものであるからだ。

そんなリーダーがいなくても、革命は成った。

2011年のエジプト革命は、1979年のイラン革命にはならないであろう一番の理由が、そこにありそうだ。

Dan the Instant Member of Your Instant Society