NTT出版神部様より献本御礼。

こういう面白くかつとりとめのなく役に立つのかわからない本というのは実に書評しづらい。なので「評する」のは諦め、本書が読むに足りる本であるということをまず指摘した上で、ここではあえて私の括弧論を披露しておくことにする。私自身、何かのおりに書いておきたかったので。

「つまらなさそう」と思う人は、本文は飛ばして本書の方を。私の括弧論より著者の括弧論の方が面白いのは確かなので。

本書「括弧の意味論」はやや不適切なタイトルだと思う。これだと言語学の専門書みたいだ。ずばり「括弧論」の方が括弧いい、失礼、格好がいいというより本書の格好と合致する。目次を見ての通り、本書はもっと一般的な括弧の本である。もっと下世話で、それだけにもっと身近でとりとめがない

目次 - 括弧の意味論 |書籍出版|NTT出版 より
第1章 括弧をめぐる遍歴――週刊誌の括弧と現代思想の括弧
第2章 括弧という現象――区切ることでなにが起こるのか
第3章 括弧の歴史――括弧はどのように使われてきたのか
第4章 括弧の意味論――括弧の持つ創造的なパワー
第5章 括弧の行為論――共犯と誘惑のメカニズム
第6章 括弧の現在――括弧の使用はどのような意味をもつのか

たとえば、週刊誌の見出し。

P. 4 より
「菅直人」と「小沢側近」ゴマすり"バカ"比べ

これは週刊新潮2010年9月9日号の広告を著者が引用したものだが、なぜ菅直人ではなく「菅直人」なのだろう。バカではなく"バカ"なのだろう。さらに付け加えれば、これは私による孫引きであり、それ故blockquoteタグという別の「括弧」でもくくられている。

あれ、なぜ私はここで括弧ではなく「括弧」と書いたのだろう?

本書を読んで、それが「わかった」。わかったではなく「わかった」。

括弧とは、なにか?

解釈を、書き手ではなく読み手に振ることである。

それがプログラミング言語の厳密な括弧から、週刊誌の曖昧な括弧まで、あらゆる括弧の共通する括弧の意味ではないか。

例文を一つあげよう。

「愛してる」と彼女は言った。

これと

愛してると彼女は言った。

は、同じようで違う。ニュアンスというレベルではなく、セマンティック、つまり意味論的に違う。

英語にすると少しわかりやすくなる。

She said "I love you".

She said that she loved me.

おわかりだろうか。引用されている部分の主語も述語も変わってしまっているのである。それどころか時制まで。

なぜ変わってしまったのだろう。

後者は、最初から最後まで話者の視点。'that she loved me'という節(clause)は、話者が意味的にそう受け取ったということだ。彼女が本当に言ったのは"I like you so much"かも知れないし、"I'm in love with you"かも知れないに、もしかして何も言っていないのかも知れないが、話者にとってそれは'that she loved me'ということだ。

しかし前者の"I love you"には話し手の解釈は出てこない。この台詞は話者ではなく彼女のものだ。そこに言語的な曖昧さはない。しかし意味論的にはずっと曖昧になる。彼女は本当に受け手に'that she loved me'と解釈してもらいたくてそういったのかも知れないし、あるいは心にもないことを言ったのかもしれない。

その解釈、すなわち括弧を解くという作業は、受け手にゆだねられている。

そして、受け手は必ずしも括弧を解く必要はない。

そう。あえてそのままにしてもいいのだ。

だからこそ、括弧は「世界」や「私」をくくることが出来るのだ。

それを解こうとするとどんな問題が起きるのか。そもそもそれにどんな意味があるかに関しては「記号と再帰」を。本書以上に書評しにくい難書であるが、本書を読み終えた後に読んで欲しい本のナンバーワンだ。

ここではもっと散文的な例を披露しよう。

fork while 1;

これは、「解いてはならない」括弧の一例だ。そう。プログラムの処理系というのは、括弧を解く仕組みであり、それゆえ危険な括弧を解かない仕組みも持ち合わせていなければならない。llevalのようなシステムを作る時に最も大変なのは、括弧を解く仕組みではなく危険な括弧を解かぬ仕組みの方なのだ。

しかし、括弧の歴史は引用にくらべてずっと浅い。日本語に限らず古文には括弧というものがほとんど登場しない。現代人であればくくってしまうような内容は、むき出しの節の中に入っていた。

現代人が多様な括弧を多用するというのは、やはり進歩なのだ。そのおかげで、危険な言説もずっと安全かつ適切に扱えるようになったのだから。「なにもしない」という扱いをも含めて。

極論してしまえば、私が言論の自由を恐れない理由は、私はすでに括弧という「盾」を持っているからだ。

扱えなくても、くくれる。

「世界」さえも。「自分」さえも。

「わかったではなく「わかった」」と私は上記した。この「わかる」をあなたに委ねたかったから。

いや、無視していただいても構わない。しかし本書という括弧は、「スルーする」のはあまりに惜しいことは最後に改めて言っておきたい。

Dan the Quot(er|ed)