講談社ブルーバックス出版部山岸様より献本御礼。
こういう一冊が欲しかった。
感覚器というものをこれほど時間方向にも空間方向にも横断的に紹介した本って多分ないので。
考えるまえにまず感じよう。五よりずっと多いその感覚で。
本書「図解・感覚器の進化」は、一冊丸ごと感覚器というありそうでなかった一冊。
- 第1章 感覚器とは何か
- 第2章 視覚器
- 第3章 味覚器
- 第4章 嗅覚器
- 第5章 平衡・聴覚器
- 第6章 体性感覚器
- 第7章 クジラの感覚器
特定の感覚に特化した本は多い。また人間に関する感覚に関して横断的に網羅した本も少なくない。しかし生物であれば無脊椎動物まで、進化史であればカンブリア紀まで網羅したものとなると一般書ではなかなかお目にかかれない。専門書では、なおのこと。
「我思う」の前に「我感じる」があったことは「自明」だと思う。自明でないのは、何をどのように感じるようになったのか。たとえ視覚器一つとっても、イカの目とヒトの目では発生からして違う。このあたりは「目の誕生」に詳しいが、本書では一章で「手軽に」まとめてある事実を知っているだけでも、ものごとの見え方はだいぶ変わってくる。
その一つが、脊椎動物の眼の「設計ミス」。脊椎動物の眼は反転眼と呼ばれる。神経が視細胞の上を通っているからだ。要するにセンサーの上を配線が通っているということだ。これでは配線が邪魔だし、配線を下に通すための穴も開けなくてはならない。これが、文字通りの盲点となる。この言葉、比喩ではなく解剖学用語なのだ。ちなみにイカの眼はそんなアホな設計になっていない。配線はきちんと裏を通っている。イカの眼に盲点はないのだ。
しかし、そんなアホな設計でも、十分役に立つ。
十分役立つのであれば、「そのへん」のもので「間に合わせる」し、間に合わせることしか出来ないのが生物というものであり、それをどう間に合わせて来たのかというのが進化である。
その点で本書が秀逸なのが、クジラの感覚器を最終章に持って来たところ。水中に適応した感覚器を地上向けに間に合わせるのはなかなかの難事業だったはずなのに、今度はそれをまた水中に再適応させなければならなかった彼らは一体どうしたのか。彼らがどうしたのかを知ることは、進化がどのように進むかということを理解することでもある。
それにしても「感じる」はいつ「知る」になったのだろう。そもそもヒト以外の動物たちは世界をどう感じているのだろう。この設問は残念ながら「感じる」ことは出来ない。「錐体」したヒトの眼では、トリの眼に何が映っているかは絶対に見えないのだから。しかし考えることは出来る。感覚できなくとも感動することが出来る。そんな感動を本書から得て欲しい。40億年の時を経て、感じるを超えて考えられるようになったあなたには。
Dan the Sensor


「Don’t think.Feel」とアドバイスを与えていました。
「太古から人が持っている能力を呼び覚ませ」って言う事だったのかもしれませんね。