出版社より献本御礼。

著者名のごとく、「治明の理と利」を解いた一冊。

その理と利に触れるのに私というフィルターを通して欲しくないので、書評はしない。その代わりに、著者と私が共通して心配しているであろうある事柄について書く事にする。

なぜカンゼンよりカイゼンなのか。

出来れば、カンゼン主義者にも伝わるように。

本書「百年たっても後悔しない仕事のやり方」の著者は、「上司にするなら誰がいい」という問いに対して私が具体名を上げることができる唯一の人である。「どんな人」であればいくらでも実例を含めつついくらでも言葉を連ねられるけど、「誰」ともなると、今はこの人しか思いつかない。

そんな人に一度ならず二度もインタビューされている私は果報者にもほどがある。

著者ならぬ私にその真意は100%はわからぬけれど、理由にこれが含まれているということは弾言かつ断言してよいだろう。それは、私が曲がりなりにも加点法で採点できる--と、著者にもみなされている--こと。

そう。加点法。

減点法では、だめなのだ。

減点法は簡単で優れた採点法だ。

何が優れているかといえば、問題を知らなくても、それどころか解く能力すらなくても採点できるという点である。正答のリストさえ手元にあれば、採点は誰でもできる。赤の他人にだって、それどころか機械にだって。

だから親にもなったことがないものたちが三歳児から目を離したことを平気でなじることもできるし、20万円分の過失で外務大臣の首を飛ばす事もできる。

加点法はそうは行かない。まず問題そのものを、時には出題者よりも熟知する必要があるし、そして匿名ではあまり点数を渡せない。どれだけ相手に点数を渡せるかは、どんな採点をするかのみならず、誰が採点したかも問われてしまうので。 Page Rank がまさにそういう仕組みになっている。そしてどんなにがんばっても、採点者の主観がつきまとう。

しかし、100点を超える方法は、これしかないのだ。

カンゼンは、完璧でもゼロ成長。プラス成長が欲しかったら加点法をどこかで採用しなければならない。

P. 161
「最近の学生は勉強しとらん。キャッシュフローの表も作れないし、バランスシートも読めない。役に立たないから会社で一から教えている。もうちょっと我々が使いやすいよう教育してくれ」
すると、その学長は幸か不幸か気骨のあるひとでしたので、次のように応じたそうです。
「承知いたしました。使いやすい学生はいくらでも作れますから。けれども使いやすい学生は、すぐ使えなくなりますよ」

そりゃそうだ。持点が100点しかない人が減点法でしか評価されなかったら、0点になるのは時間の問題。100年もとてももたない。

iPadはUSB経由で充電することになっているが、ところがiPadの充電は、USB 2.0のバスパワーの規格から逸脱している。規格上の上限は500mAなのに、その倍の1A=1000mA近くないと足りないのだ。減点法に従えば、iPadはこの時点で欠陥商品以外の何物でもない。

ところが実際はごらんの通り。減点主義が強いこの国を含め、世界中で売れている。もしAppleがUSB規格に従順だったら、あるいはUSB規格を捨てていたらどうなっていたか。どちらのカンゼンをとっても、その時点でユーザーに足切りされていたはずだ。

かくいう私自身は、生来は減点主義者だと思う。史記の中で最も感情移入しやすい人物は、ダントツで伍子胥。告白してしまえば、目前にすれば鞭打たずにはいられない屍すら未だある。それが倒行にして逆施であることを知りつつも。

そんな私でも、加点できるのだ。

あなたにできないはずはない。そう思い込んでいるのだとしたら、あなたは自らに対し減点法を行使しすぎているのである。

Dan the Taker by Birth, Giver by Trade