盟友宋文洲の大人気メルマガ「宋メール」に、私の連載コラムが六回掲載されることとなりました。
宋メール第170号「大地が揺れた後」今回の上記本文は北京の自宅で書きましたが、以下のゲスト寄稿はお隣さんの小飼弾さんから寄せていただいたものです。お隣さんといっても北京のではなく東京自宅のお隣さんです。
弾さんが我が家に食事に来てくれた時のことを忘れられません。食事の合間に当時の私の新書「うまい逃げ方」を手にして数分間パラパラとご覧になっただけなのですが、翌日、彼が書いた書評をみてびっくり仰天。私なら数日をかけてよく読んでからじゃないと書けない書評だったからです。
いろいろな変わった日本人と友人になりましたが、弾さんほど能力も発想も個性も「変わっている」方は少ないです。知りたい方は調べてみてください。なぜならば私の紹介は実際より物足りなく なるからです。
ご紹介ありがとうございます。
それでは記事を以下に。
逃げる勇気
小飼弾
http://blog.livedoor.jp/dankogai/
小飼弾と申します。404 Blog Not Found ( http://blog.livedoor.jp/dankogai/ ) という blog をご覧になった方もいらっしゃるかも知れません。Twitterで @dankogai が発するつぶやきをご覧になったかたもいらっしゃるかも知れません。もしかして、 @sohbunshu 経由で。そうでない方、はじめまして。
宋さんから連載の打診を受けた時に、はじめに思い立ったのは「逃げる勇気」でした。宋さんほど、この言葉を忠実に実行している友人を私は持ちません。宋さんの本「うまい逃げ方」は私もblogで書評させていただきました。( http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50558579.html )しかしどのように書くかは今に至るまで決めていませんでした。
そんな折でした。日本史上最大M9.0の巨大地震が、私の住まいを震度5弱でゆさぶったのは。床に平積みになっている本こそ津波のように飛び散ったものの、幸い名物の壁一面本棚は中身ともども無事。私が倒れた植木の下敷きになった程度で家族一同息災ではありましたが、窓の外にはお台場の煙。そしてTVには津波…後に東日本大震災と呼ばれることになるこの事件ほど、「逃げる勇気」という言葉が試される機会はないでしょう。
本震後11日を経た今(22日時点)、死者の数は阪神淡路大震災を超え、にも関わらず行方不明者は死者の数より多い。福島第一原発の状況も未だ予断を許さず、そして東京電力は中越地震で柏崎刈羽原発が止まったときですら実施されなかった計画停電をついに実施に移しました。率直に申し上げて、私はいつ亡くなった方々にお悔やみを、そして被災された方々にお見舞いを申し上げるべきかがわからずにいます。今それを言うのは、まるで目の前でたった今亡くなろうとしている人にそうしているような気がして。
「逃げる」。自らの力ではかなわない何かが襲って来た時に出来るたった一つのこと。たとえ40年かけて高さ10mの防潮堤を築いても、それを楽々と乗り越える津波が来ては逃げるしかありません。「何でもっと高い堤防を築かなかったのだ」「何でもっと高いところに街を作らなかったのだ」というのは、正論である以上に空論であり、空論である以上に暴論です。
もし20年前、私が燃えさかる実家から上半身裸で逃げなければ、20年後の今こうしてコラムを書いていることもなかったでしょう。シャツ一枚にでもこだわっていたら間に合わなかったと断言できます。米国の大学から冬期休暇で実家に来ていた私は、それで財産の全てと大学生活を失いました。そのおかげで、なによりかけがえのないものを得たのです。当時から見たら明日、今から見たら今日を。
今回の大震災の死者行方不明者の合計は、二万人を超えています。その多さに驚く以上に、それがこの国で一年間に自殺する人の数を下回ることに私は驚いています。なぜ彼らは逃げないのか。彼らを追いつめたものがなんであれ、それが津波や火事ほど逃げにくいものだとはとても思えないのに。
闘争か逃走か。難しそうな疑問ですが、あえて簡単に考えてみましょう。勝つ見込みを立てられなければ、逃げる。それは卑怯ではありません。勝ち目がない時でも明日を諦めない勇気なのです。逃げが臆病なのは、勝つ見込みがある時だけです。逃げる勇気を持たぬ者を、私は真の勇者として認めません。
Dan the Contributing Writer Thereof
そして、戦後処理のことも考えて戦闘を行う。
局所的な戦果に一喜一憂するのでは野武士です。
まあ、最高の勝ち方は、戦わずして勝つことですが。