この気持ちは、わかる。

「100年先の未来から現在を振り返って、コンピュータや通信など情報技術の世界で偉業を成し遂げた人物を一人だけ挙げよ、といわれたら、そこでは迷わずSteve Jobsの名前が出ることでしょう。」 http://t.co/0di2RGr 本気で言ってる?less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply

ましてや、こんなエピソードを目にすれば。

スティーブ・ジョブズ - Wikipedia
ジョブズは、報酬の山分けをウォズニアックに提案、アタリから受け取った「700ドル」のうち350ドルを小切手でウォズに渡したが、実際には5000ドルを受け取っており、差額は、オレゴン州の共同農場につぎ込んでいた。

なのに、なぜWozその人が "He's always going to be remembered, at least for the next hundred years, as the greatest technology business leader of our time" と言ったのか。

Jobsの方が「えらい」にしておいた方が、Wozにとっても好都合なのだと私は思う。

もしCreatorがProducerなしでも成り立つとしたら?

背理法で考えてみよう。Jobsというプロデューサーなしでも、Wozというクリエイターが成り立つのだとしてみるのだ。

それが成り立つ世界では、パーソナル・コンピューターはAppleではなくHPから出ていなければならなかった。WozはHPの社員だったのだから。

Macintoshは、AppleではなくXeroxから出ていなければならなかった。Altoを生み出したのはAppleではなくXeroxなのだから。

なぜiPodはSonyではなくAppleから出たのか?

なぜiPhoneはNokiaでもRIMでもPalmでもなく、Appleから出たのか?

なぜTablet PCはiPadになれなかったのか?

Appleの沿革は、プロデューサー不要論に対する反証として十二分ではなかろうか。

プロデューサーとは何だろうか?

Jobsが言うところの、Connecting the dotsがそれに相当するのではないか。

クリエイターが穿った点を結ぶ人が、同じクリエイターである必然性はないのだ。

クリエイターは君だけではない。

相対論が偉業であることに異論をはさむ人はいないだろう。

しかしそれをアインシュタイン一人に帰するのは、どうか。少なくとも特殊相対論に関してはポアンカレも同じ結論に達していただろうし、一般相対論に達するのにアインシュタインはグロスマンの助力を必要とした。

厳密には科学者はクリエイターではなくエキスプローラー(Explorer)なのだが、「成したのはその人だけではない」という点においてクリエイターとそれほどかわりはないように思える。「誰がえらい」の認定しづらさは、プロデューサーよりさらに難しいのではなかろうか。

偉業も業には違いない

偉業というのは、いいものもわるいものも呼び込む。探究に不可欠な静かな環境が失われるだけでも、クリエイターにとっては相当なダメージだ。

そして偉大な発明・発見は、それが偉大であればあるほど負の側面も大きくなる。もしクリエイターのみに偉業の功を与えるのであれば、その偉業に伴う罪もクリエイターのみのものとなるがそれでいいのか?それはアインシュタインやマイトナーがヒロシマやナガサキやスリーマイルやチェルノブイリやフクシマで責められることに他ならない。

プロデューサーの取り分の方がクリエイターのそれより大きなことは、これである程度正当化される。クリエイターはプロデューサーに功績の過半を渡す代わりに、免責を得るのだ。

Jobsは多くのクリエイターを首にしたが、しかしそのクリエイターに責任をなすりつけることはしなかった。少なくとも私が知る限り、「あれがうまく行かなかったのはあいつのせいだ」という台詞を彼が公の場で発しているのを見たことも聞いたこともない。

プロデューサーにとって一番大事な資質は、それではないか。

Millions と Billions の違いなんて大してない

かくしてクリエイターは Millionaire となり、プロデューサーは Billionaire となる。「Wozの方がえらい」と感じる人々にとって実に苦々しい現実ではあるが、もし Jobs が Woz に350ドルではなく2500ドル渡す「よい人」であったらどうなっていただろうか?

少なくとも、Pixarが潰れていたのは確かだと思う。

そして実際のところ、個人に対する賞金として Millions と Billions の違いは大したことがない。どちらも「使い切れない」という意味において。実際に得てみればわかるし、得ていない人でも十分な想像力を持つ人であれば実感できるのではないか。

A Producer's Creation

大前研一が、こんなことを言っていたそうだ。

人間が変わる方法は三つしかない。
  1. 時間配分を変える
  2. 住む場所を変える
  3. 付き合う人を変える

一言でまとめれば、「場を変える」。だとしたら、「場」そのものを用意することもまた創造の名に値するのではなかろうか。

スティーブ・ジョブズの最高傑作 ≪ maclalala2
Jobs の最も偉大な創造物はアップル製品のどれでもない。それはアップルそのものなのだ。

@takashiiba いや本当によくわからないんですよ。なんでみんなそんなに感心してるんでしょうか? NeXT作ったのは私には有難かったですが、GUI発明したとかUnix作ったとかWeb発明したとかに比べると偉業度は少なくないですか?less than a minute ago via web Favorite Retweet Reply

PARCやベル研究所やCERNという場なくして、それらの発明はありえたのだろうか?

そうでないことを認めるのであれば、PARCやベル研究所やCERNになしえなかったことがなされた場を成したこともまた、偉業なのである。

Dan the Rewarded - Not as Rewarding as Rewarded