
半分正解。
スティーブ・ジョブズはどこにでもいるアップルは、「シード・ドリブン」の会社なのだ。一見すると、ジョブズが夢のようなアイデアを思いついて、それが形になって出てきているように思える。しかし実際には、いい材料(キーデバイスやキーテクノロジー)が手に入ったときに、料理人のようにそれを最善の方法で調理してお皿に盛りつけているのだ。
つまり、及第点に及ばず。
Jobsは料理の鉄人である以上に、農夫であり、養父なのだから。
桃栗三年WiFi八年
今は亡きMacLife特別編集の「The History of Jobs & Apple」を見て、なぜMacLifeが生き残れず、MacPeopleが生き残ったかがわかったような気がした。
Macはもちろん、NeXT CubeもiPodもiPhoneもiPadもあるのに、LaserWriterもAirport(Airmac) Base Stationもないのだ。それでは「上っ面しか見ていない」のそしりは免れない。
Wifi普及の最大の功労者がAppleであることに異論を挟むのは難しい。Airport Base Stationの発表は1999年7月。802.11bが正式規格になったのは1999年9月。Airport Extremeが2003年1月なのに対し、11g正式化は2003年6月。Aiport Exteme がドラフト段階の11nのサポートし始めたのが2007年1月に対し、11n正式化は2009年10月。
もしAppleが「単なる」料理人だととしたら、こうなるはずがない。製品は規格の成立後になるはずだが、実際は製品を規格が追認する形になっている。ここにおいてもAppleは産みの親ではなく育ての親であるが、しかし苗から育てたのは確かで、実がなってから刈り取ったわけではない。
しかしAppleがすごいのはそこではない。きちんと実になるまで待ったことだ。
なぜ MacBook Air はあれほど登場が遅かったのか?サブノートというカテゴリーはすでに前世紀には成立していた。Jobs復帰以前のApple自身、PowerBook Duoを作っていたし、Digital HiNoteやVAIO 505が出たのはWindows 95の時代だ。なぜ2008年だったのだろう?
802.11nの普及を、待っていたからという他ない。11nなしには、ワイアレスバックアップもワイアレスリストアも無理ではないにしろ無茶なのだから。
それでも初代Airは今振り返れば未熟だった。もう一つのキーデバイス、SSDがまだ未熟だったからだ。それでもその方向性が間違っていなかったのは、「高級な二台目スポーツカー」から「Lion時代の主力商品」になったことからも明らかだろう。
そう。主力商品。
サブノートではなく。
その意味で、日本の企業にAppleの類似を求めるのであれば、完成品の販売のみを手がけるジャパネットたかたよりも、製品の素材までデザインしているサイゼリヤの方が適切に思える。ビジネスパーソンにとって「おいしいから売れるのではない 売れているのがおいしい料理だ」の美味さは彼らの料理にひけを取らない。この場を借りて紹介&献本御礼。
JobsはAppleと信者が育てた
この例はJobsが類い希なる養父であることを示す一例に過ぎない。それが単なる幸運でないことは、彼がAppleのみならずPixarの養父であったことからも疑いようがない。
それでは、父という存在は誰が育てるのだろう?
子、なのではないか。
産みの親と育ての親が異なっていたというJobsの出自がJobsの人格形成に影響があったことは、"Stay Hungy, Stay Foolish"スピーチで自ら引用していたことからも否定できないが、この人は実は父となることを一度、いや二度拒否したことがある。詳しくは公認伝記で明らかになるはずだが、Lisa -- 製品名にして実の娘 --に対する仕打ちは、その後のApple追放が天罰ではないかと思えるほど、今我々が知っているJobsらしくない、格好悪いものだった。
父親失格のJobsが、再び父親となったのは、1991年。今度は逃げなかった。
Jobsが自分の天職に真の意味で目覚めたのは、Apple復帰の1996年ではなく、この時ではなかったか。
「iCloudとクラウドメディアの夜明け」P. 57徹底してユーザー視点を貫きながらも消費者に甘えを許さず、自らが販売する製品についても妥協を許さない。
逆もまた、真なり。
ユーザーもまた、Appleに対し製品に妥協することを許さなかった。
Appleにとって幸運であったのは、Jobsがいない空白の12年間も、そうであったこと。
私がMac SEを購入したのは1987-88年ごろだが、その時すでにJobsはAppleにいなかった。それでもAppleは、それでなければ駄目だという製品をしばらく出し続けていたのだ。Jobsでさえ"Apple invented the modern notebook"と認めるPowerBookには、Jobsの息はかかっていない。
Jobsも少なくとも一度は、Appleの惨状を見かねてMichael Dellが主張したように店を畳んでしまおうとした。しかしそんなJobsに「甘えるなバカ親父!」というメッセージを送ったのは、Appleの社員でありユーザーではなかったか。沈みかけた船になお残ろうとするIveや、それどころか乗り込もうとするCookがいなかったら、iCEOからiが取れることはついになかったはずだ。
今から二世代前の Mac OS X Leopard は、予定より半年遅れてリリースされた。いや、「遅れてリリース」されたのではなく、ユーザーが半年待ったのである。
Mac OS X - WikipediaMac OS X v10.5 Leopard(レパード[6])は、発表当初は2007年春のリリースを目指して開発されていたが、2007年4月12日(現地時間) に、6月発売のiPhoneプロジェクトへ一時的に開発リソースを集中させる目的でリリース延期が表明され、2007年10月26日に発売された[7]。
もしMicrosoftが、Windows PhoneのためにWindows 7のリリースを遅らせると発表したら、ユーザーはそれを許してくれただろうか?
もし許していたのだとしたら、こんなCMは絶対に許さないだろう。
Appleにとってユーザーは、単なる客ではなく、「わが子」なのだ。「デジタルドリームキッズ」とは、Apple信者のことである。
スティーブ・ジョブズはどこにでもいるジョブズを神格化して礼賛することは、ある種の「風評被害」のような、誤った効果を生む可能性があると思う。風評被害とは、実際には起きていないことが噂として広まってダメージを受けることだが、逆に風評が広まることで、本当のリスクが見えなくなることがある。それと同じで、ジョブズをあまりに神格化してしまうと、モノ作りのベーシックな精神を見失わせはしないだろうか?
これには同意するからこそ、
ジョブズの価値というのは、「誰にも真似できる」ということなのだ。
これには同意しかねる。
養父という役割が「誰にも真似できる」ものだとしたら、世の悲劇は半減するだろう。父子関係というのは母子関係よりはるかに「不自然」であり、不自然であるがゆえに壊れやすいものなのだから。Jobs自身、一度は父親を失格している。
しかし「誰にも真似できる」と「真似できる人は誰もいない」の間には、実に大きな隔たりがある。ユーザーと単なる顧客以上の関係を結ぶのは、Jobsの専売特許ではない。
404 Blog Not Found:MuramasaがMacBook Airになれなかった理由「ものづくり」という美辞麗句を、「関係づくり」をおろそかにする言い訳にしてませんか?
なぜJobsがこれをiMacよりも先に作らせたのか。
それを理解できぬ人に、Jobsの真似はできない。
Dan the One of Those "Adopted"
アップルほど「マーケット・イン」に成功している会社も珍しいと思う。
市場がなければ、エジソンもジョブズも生まれようがない。単なる変わり者として忘れられるだけである。
企業の基本は、普遍的に、「マーケット・イン」。