これはいい警句。
私も原子力について本当の事を言うぞ:日経ビジネスオンラインそれらを止めるためには、われわれの中にいるマッチョをなんとかして説き伏せなければならない。
だけど、これはいかにもマッチョ的な発想だ。
それは、とても難しいことだ。
「とても難しい」と思うのは、「なんとかしなければならない」からだ。
それは、マッチョにマッチョで対抗しようとすることに他ならない。
そうやってマッチョどおしの争いはエスカレートする。マッチョポンプだ(笑)。しかしそうしているうちに、マッチョネスは「もうおなかいっぱい」の段階に達し、マッチョは亡びる。
そうしてマッチョが開墾した地にウィンプの花が咲く。
そんな現象は、ありとあらゆるところで起きてきた。たとえば航空機の速度競争。コンコルドというマッチョは、ジャンボジェットというウィンプに負けた。決着がついたのは、私が生まれた頃の話である。
電力に関しても、日本はすでに今世紀のはじめには「おなかいっぱい」現象が起きている。だからこそ「アトミックマッチョ」は「クリーンでクレバーでピースフルでロハスな新時代のエネルギー」であるというウィンプアピールを開始したのだ。それの化けの皮が剥がれたのはご存知のとおり。読賣新聞の主張も「語るに落ちた」の一つに過ぎない。
壮観なのは、マッチョのアイコンであったクルマですら、マッチョポンプの自滅現象から逃れられなかったこと。
たったの5秒?
そのために2千万円を費やすのか?
そう。ぶっこむのだよ。それがマッチョだ。
それも昔の話。今や同じ2000万あったらフェラーリよりテスラを買った方がモテるし、それどころか「クルマ?イラネ!」というのが「近頃の若者」。間違いだらけのクルマ選びを2006年で辞めた徳大寺有恒の潔さは、特筆に値する。
だから、ウィンプの生存戦略は、実にシンプル。
ただ、待てばよろしい。
道は険しい。
そこにすぐ飛び込もうとするのはマッチョ脳。真のウィンプはマッチョどもがそこを舗装したあげく、暴走した王蟲が死に絶えるがごとく亡んだのち、ゆっくりと歩めばよい。
それでは、マッチョはどうすればよいか。
目指すべき場所は、実は二つある。一つはフロンティアを見つけること。世界は広い。そんなフロンティアはまだいくつも残っている。電力一つとっても、原子力は one of many に過ぎない。普通の太陽光発電がオネエすぎるなら、宇宙太陽光発電所なんてどうだろう。原子力なんて目じゃないぐらいマッチョだぞ?
そしてもう一つが、マッチョとウィンプの潮目。旅客機ならコンコルドとジャンボの境、ITならPCとiOSあたり。難易度はぐっと上がるが、得られるものはさらに大きい。Jobsがやったのが、まさにこれ。前者がただの男「性」なら、こちらは父「性」が要求される。
しかしどちらの場合でも、いずれマッチョはウィンプに道を譲らねばならない。じっとしていたらマッチョは自らの重みで沈んでしまう。
マッチョがいいのかウィンプがいいのか、そのこと自体はどうでもいい。どちらにも生存戦略はある。
ただ、自分がどちらなのかは知っておいた方がいいと思う。
移動力のないマッチョと忍耐力のないウィンプが生き残るのは難しすぎるのだから。
Dan the Impatient -- too Impatient to be a Wimp
ぎゃくに、厳格だった道元禅師の曹洞宗は、一時滅亡の危機に陥ったのだけれど、だらしなく密教を導入して、民衆相手の拝み屋に妥協して変貌したら息を吹き返しました。
宗教も、「マッチョ」より「ウインプ」が明らかに勝ち誇っています。
西洋でも、厳しすぎるシトゥ派修道院なんかは、いまでは観光収入に頼っていて、生き残りに苦しんでいるみたいです。