出版社より献本御礼。

これを読んだ後青空文庫で何作か読み返してみたら、読感がまるで変わってしまう。その意味であくまで作品のみを評価の対象にしたい人は避けた方がいいかも知れない。作品の余韻を惜しむ人が、解説本を避けるような意味で。

それゆえに、本書は私にとって一番共感したくなく、それゆえ同感せざるを得なかった人生論となった。

それがちょっぴり嬉しく、そして同時に悔しくもある。

それは、自分の中の普通を認めることでもあるのだから。

フランツ・カフカ - Wikipedia
フランツ・カフカ(Franz Kafka, 1883年7月3日 - 1924年6月3日)は、出生地に即せば現在のチェコ出身のドイツ語作家。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆、常に不安と孤独の漂う、夢の世界を思わせるような[1]独特の小説作品を残した。その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成る。

本書「絶望名人カフカの人生論」はその「日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙」のコンパイレーションということになる。

こういっては何だが、41才で亡くなった(うわあ、今の私より若かったのか)ことを除けば、実に「普通」の人である。モテなかったわけでもない。仕事ができなかったわけでもない。その親友にして、作品が後世に遺ることとなった「主犯」であるマックス・ブロートの言う通り、

君は君の不幸の中で幸福なのだ

という人生だった。それがなぜ、 kafkaresque という言葉が一般形容詞となるほど重要な作家となったのか?そこには二つの運がある。我々にとっての幸運で、彼にとっての不運。

一つは彼が"brutally shy"だったこと。この表現は以下をもじった。

Steve Jobs Ch. 42
He made a point of being brutally honest. "My job is to say when something sucks rather than sugarcoat it,"

彼はこれのまさに逆。普通の人でも「脱ぐ」場面で「脱げず」に一生を終えた。

著作を、除いて。

その著作さえ、彼は死後全て破棄せよと遺言している。それが遺ったのはブロートがその意に背いたからだ。これが、第二の運。

思いをはせずには、いられなかった。

この世でこれまで一体何人のカフカたちが、誰にもそうと知られず一生を終え、そしてその後も誰にもそのことを知られずにいるのか。

鹿目まどか
ずっとこのまま、誰のためになることも、何の役に立つことも出来ずに最後まで何となくただ生きてくだけなのかなって…それはくやしいし、さみしいことだけど、でも仕方ないよねって、思ってたの
本書 P.78
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、
自分のなかにある確固たるものを信じ、
しかもそれを磨くための努力をしないということである。

これまた"insanely great"な人の言葉をもじれば、彼は"insanely modest"な人だった。いや、「充分に発達した正気は、狂気と見分けが付かない」とでもいおうか。

しかし普通ということにかけて、この人はその人と同根でもあるのだ。

Steve Jobs Ch. 42
What drove me? I think most creative people want to express appreciation for being able to take advantage of the work that's been done other members of our species and the shoulders that we stand on. And a lot of us want to contribute something back to our species and to add something to the flow. It's about trying to express something in the only way that most of us know how -- because we can't write Bob Dylan songs or Tom Stoppard plays. We try to use the talents we do have to express our deep feelings, to show our appreciation of all the contributions that came before us, to add something to the flow. That's what has driven me.

ここで we の使われ方に注目してほしい。彼は認めていたのである。自分が、大した点ではないことを。だからこそそれらの点を繋げて、どんな点にも成し遂げ得なかった大事を成し遂げた。

しかし自らがどれほどの点かを知る点など、いるのだろうか。

カフカは明らかに自らを過小評価してたが、それを我々が知っているのは、ブロートが彼という点を放置しておけなかったから。それが本書の(共)著者につながり、我々に繋がっている。

カフカは、普通だった。

完璧な方法に徹することが出来なかったという意味でも。

ぼくの本が
あなたの親愛なる手にあることは、
ぼくにとって、とても幸福なことです。

沈黙は金と知りつつ、銀を追わずにはいられない。これこそ、普通のブロガーの心情というものではなかろうか。

だからこそカフカの言葉は普遍的に通じるのだろう。

通じて欲しい。でも通じてしまうのが怖いという気持ちまで、含めて。

Here's to the ordinary ones.

Dan the Kafkaresque