
かつてはそれを使わぬ日が一日とてなかった一人として、半分、同意。
yebo blog: なぜ、HyperCardは死ななければならなかったのかこの理由は、HyperCardは別世界のエコーだからだ。コンピュータを使う事とプログラミングする事の境界が弱めら、ほとんど完全に消し去ってしまう世界だ。
なぜ半分しか同意でないかというと、「HyperCardの末裔」はかつてないほど繁栄しているから。Flashしかり、DHTMLしかり。DOMのイベントが全部"on"ではじまるのは伊達じゃない。
むしろ適切な質問は、「なぜHyperCardはHyperCardのままでいられなかったか」ではないのか。
その理由は、今ならわかる。
HyperCardは、あらゆる意味でclosed、つまり閉じていたからだ。
まず、フォーマットについても閉じていた。Mac版しか存在しないのではMacの普及以上に普及しようがない。Microsoft Officeですらマルチプラットフォームなのに。OS Xでサポートされないと決まった時点でHyperTalkはMac OSと運命をともにするのは確実となった。
しかし一番決定的だったのは、コードとデータについて閉じていたことだ。HyperCardの「ファイル」に相当する「スタック」は、Webサイトであれば「サイト」全体に相当する。一つのスタックの中にコードもデータも全て含まれているのだ。だからその中のデータを一バイトでも変更したら、スタック全体が変更されたことになる。私はかつてPDS-Finderという、Nifty-Serve中のMac用ソフトの検索ソフトをスタックとしてリリースしていたが、スタック全体をアップロードしなければならないことをずっと面倒だと感じていた。
コードとデータが渾然一体となっていることは作る段階では便利でも、使う段階、特に作者以外が使う段階になるとしごく不便であり、それも知人を超えて他人に使われるようだと危険ですらある。
HyperCard - Wikipedia, the free encyclopedia=The first HyperCard virus was discovered in Belgium and the Netherlands in April 1991.[9]
Because HyperCard executed scripts in stacks immediately on opening, it was also one of the first applications susceptible to macro viruses. The Merryxmas virus was discovered in early 1993[10] by Ken Dunham, two years before the "Concept" virus.[11] There were very few viruses based on HyperCard, and their overall impact was minimal.
HyperCardウイルスがそれほど蔓延しなかった理由がHyperCardそのものがそれほど普及しなかったからに過ぎないのは、その後のOfficeマクロウィルスの猖獗ぶりを見れば明らかだろう。
HyperCardの死因は、自然死だ。Jobsがやったのは延命処置の拒絶に過ぎない。
それでも現在でもHyperCardのスクリプト天国を誰も再現していない現状は、私も不思議に思っている。Wikiが再現したHyperCardの世界は、オーサリングできるのはデータのみという意味でその半分に過ぎない。
暇があったら作ってみようかな…
Dan the Good Old Stack Author
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