どうしてもここに引っかかってしまう。

Island Life - やりたいことかどうかって、やってみないとわからない
だけれど、「これがやりたい仕事である、と本当に思っている」ってことは、 応募にあたっての最低限のラインじゃないかな。でなけりゃ教えたって無駄になっちゃう。

というのも、私は仕事を得るにあたってそれを問われたことは一度もないし、(雇用主として)仕事を与える際にもそれを問うたことは一度もないから。

「好きを仕事に」で、真っ先に思い出すのはやはりこの人。

And the only way to do great work is to love what you do.

今やMSFTとGOOGを合わせたより価値のある会社の社員ともなれば、そうなのだろう。

しかしそこの製品を組み立てている人は、どうか。

FoxconnでiPadを組み立ててていた、iPadを見たことのない工員さんは、そこまで自分のやっていることを愛しているのだろうか?

こういうのも何だけど、「たかが仕事」に「愛」を要求するのって、いくら客が神(で職場はその神殿)だとしてもあまりに「頭が高い」ことなのではなかろうか?

もちろん、「その人がそれを愛している姿を客が愛でる」仕事ともなれば、愛は必須条件たりうる。音楽産業なんてその最たるものだろう。そういう職を得た人であれば、職を愛し続けることがいかに大変なことかを肌で知っているし、だからこそ作品ではなく地位を愛すが如く勘違いには憤らずにはいられない。こんな風に。

勉強なら他所でやれ | Transistar
つまりこの学生は、ほんとはモノづくりなんかしたくないんです。ただモノづくりに憧れてるだけ。それを憧れのままにしててモヤモヤ諦めきれずに、なんとなくそれっぽい業界に入りたいと思っている。はっきりいって迷惑です。

だけども、「代わりはいくらでもいる」仕事まで愛を要求する、あるいは要求されていると勘違いしているのは愛の無駄遣いだと私は思う。

Love-driven job-seeking (愛駆動就活)には問題がもう一つあって、愛というのは少なくとも現時点では測定不能だということ。仕事の成果であれば貨幣と時間という単純かつ計測可能な形で推し量れるけど(それぞれの職場で正しく計測しているかはさておき)、あなたと私とどちらがよりその職を愛しているかなんて、それこそ「私と仕事とどっちを愛してるの?」より困る、答えようのない問題ではないか。

もっとも、「モノづくりに憧れている」だけの人ほど、とりあえず「代わりはいくらでもいる」仕事を紹介すると「働いたら負けだと思ってる」って答えを返すというのもまた悲しい現実ではあるのだけどね。自分で作った会社をクビになっても仕事を愛さずにいられない人が、空き缶拾いを厭わないのと逆の意味で。

好きを仕事にする前に、一度ぐらい「代わりはいくらでもいる」仕事に従事しておいても損はしないと思う。自動化とグローバル化のおかげでそういう仕事の数は年々少なく、そして給料は安くなってはいるけれどもまだゼロになっているわけではないし。やってみればやる前に思っていたほど簡単なお仕事ではないこともわかるし、そういうお仕事でもうまく出来るようになればやっぱり嬉しいし、そして「マイナス報酬」すらいくらでもありうる「好きベースの仕事」と違って、こちらであれば最低賃金以上は確実に得られるし。

「好き」を就職の必要条件にされるぐらいなら、「ただし、イケメンに限る」の方がまだなんぼかましなんじゃないかな。

Dan the Fickle