長女が発見。
初出2012.03.15; 以後続巻ごとに更新
でかした。
いや、本作の登場人物たちと同じ中学生とあらば、そこは「けしからん」というべきかも知れないが、面白いものは面白い。
関くん、その手があったか。
学校ほどマンガに利用される舞台はないが、学校ほどそこで行われている本来の活動がスルーされる舞台もない。コメディ、スポーツ、エロマンガ…そこで描かれるのは色恋沙汰や部活動であり、授業そのものが描かれるものはほとんどない。「鈴木先生」すら主題は「思春期の悩み」であって教科ではなく、もちろん本来の授業はそっちのけ。
その意味において本作「となりの関くん」もマンガの王道で、主人公たちが授業以外の何かに熱中するさまが存分に描かれているのだが、問題はその授業以外の何かが何か。
本作において、それは「内職」。つまり本来の授業をいかにしてスルーするかそのものなのだ。
マンガで暇つぶすのではなく、暇つぶしがマンガになるなんて。しかしそれのどこが面白い?
同じくマンガ家で作者の姉の東村アキコが驚愕するほど地味な主題ではないか。
論より証拠。以下で「立ち読み」できるのでまずはご覧いただきたい。
関くんの内職は、もう暇つぶしというレベルではなく好きを貫くというレベルで、だからこそ真面目な横井さんも真面目にそれに付き合ってしまうのだが、それにしてもこうもそれが面白いと、元祖不登校児にして中学生の親としては考えさせられる。
なぜ学校の授業というのは、マンガの主題にならないことが暗黙の了解となるほどつまらないものと見なされているのか。それが事実とは限らないのは、私立中高一貫校に通う長女を見ればわかる。こういうのも何だが、不真面目な親が心配になるほど真面目に通っている。
その一方、内職でもしなければ退屈で死にそうになるのもデフォルトだということもかつて公立中学校に(半分ほど)通っていた私は覚えている。むしろ教科を真面目に習おうとすればするほど、それが報われない場所であることも。面従腹背するには、私はあまりに真面目だった。だから学校に通うのをやめて、図書館に通うようになったわけだが。
そんな私には、関くんほど一人遊びの才能のある子が学校に通っているのはやはり奇異に感じる。学校をサボるなんて思いもよらない真面目な横井さんが隣にいないと張り合いがないのかな。理由はさておき、本作はその横井さん視点の関くん観察日記なので、関くんが授業に出ないことには文字通り話しにならない。読者としては関くんの精勤を願わずにいられない。
Dan the Dropout
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