東北太平洋沿岸を、夫婦でドライブしてきた。

本作を、携えて。

青森県三沢まで東北自動車道で一気に北上して一泊の後、岩手県釜石、宮城県仙台、福島県いわき小名浜でそれぞれ宿をとり、最後は茨城県鹿嶋、いや神栖まで。

  • 道路の整備状況は素晴らしい。国道45号線も国道6号線もぴっかぴかに直してある。流された橋もかけなおしてある。津波の直撃を食らった道の駅さえ、仮設ではあるが営業している。最高のドライブウェイだ。
  • そういえば「仮設のトリセツ」も献本いただいたのだった。この場を借りて御礼。私も実家焼失の跡一年弱ほど住んでいたが、住めば都とは仮設住宅のためにある言葉なのではないか?むしろ中古の方が建材の臭いが飛んでいて快適かも知れない。
  • それだけに津波の跡がなお痛ましい。走れど走れど、沿岸部には上物が流出し、コンクリートの布基礎のみが残った「家々の切り株」がある。
  • だからこそ、がれきの片付きぶりになおのこと感動する。「生きるとは、片付けること」なのだとしたら、確かにそこには生がある。
  • しかし福島第一原発近辺では、それも一変する。他の被災地であれば片付けられていたクルマの残骸が、そのまま転がっているのだ。
  • 北は南相馬の南端、南は広野のJヴィレッジあたりまで、半径20km。大したようなことがないように思えるが、とんでもない。都合良く「福島原発外環道」が通っているわけではないのだ。国道6号の「いわき60km」の看板からしばらくすると、ロードブロックが見えてくる。しかし今はそこからいわきに行くためには、一旦南相馬市街まで引き返した後、計画的避難区域にもなっている飯館村を突っ切って福島市まで出たあと、東北自動車道と磐越自動車道を経由することになる。その距離200km。放射能の不安が仮になかったとしても、福島浜通りを南北に分断したこの不便だけでも原発の罪は功を上回ってしまったように感じる。

で、本作「僕と日本が震えた日」である。「」にしろ「限界集落温泉」にしろ、作者の持ち味は「だれも口に出来ないけど、誰かが言わなければならない」ことをきっちり、しかし関係者に角が立たない形で伝えることにある。これほど東日本大震災をルポタージュするにふさわしい人はいないのではないか。その才能は本書にも収録されている「放射線の正しい測り方」にもいかんなく発揮されている。

しかしそれ以上にその才能が活きたのが、小幡績をインタビューした「僕と経済が震えた日」。彼とは私も話をしたことがあるのだが、失礼ながら正論で人の神経を逆撫でする点では私も足下に及ばない彼の言葉を、なんとか一般読者にも受け入れられるところまで持っていったのは脱帽ものである。

その彼の言葉で、一番刺さったのが、これ。

日本は震災では揺らがないんですが、もともと揺らいでいます

いかに日本が揺らがず、しかし揺らいでいるかは私も以前書いた。

404 Blog Not Found:寄稿 - 宋メール連載第三回「地より民を」
そして今、日本全体の人口が減っています。仮に避難区域指定が解けるのに30年かかったとして、30年後一体どうなっているのでしょうか。2010年に1億2800万人だった人口は、2040年には1億人をわずかに上回る程度になると推計されています。
別の言い方をすると、今回の震災の死者行方不明者の1,000倍もの人たちがいなくなるのです。これは現在の東北地方の全人口932万人の三倍にもおよびます。このことを計算に入れず、現在の人口を元に「復旧」をしたら、30年後の人々がそのツケで苦しむのは目に見えています。

三十年と1200億円の費用をかけて築き上げた釜石港湾口防波堤も、釜石の街から津波を遠ざけることは出来なかった。現在の釜石市の人口で割ると、一人頭300万円。それなら小幡も主張するように、「中央でプランなんて決めないでお金だけ配る」方が冴えたやり方なのだろう。それだけあれば、新天地で起業するには十二分であるはずだ。私が東京に住み始めた時は、そんなに支度金はもっていなかった。

しかしこの防波堤は、490億円かけて復旧されるそうだ。

経済学者としてはもったいないと思いますよ 元通りに戻すことは効率が良くない

しかし「地域が望むなら仕方がない」。でも本当に仕方がないのだろうか?

少なくとも、若い人は望んでいない。いや望みようがない。

世界一の大防波堤を作っている間に、釜石市の人口は65,000人から40,000人を割り込むところまで減っている。さらに人口動態を見れば、20歳のところに谷がある。これは自ら住む場所を選べる年齢になったら、外に出て行くことを若者が選んでいることを示している。釜石だけではない。三陸の自治体、全てこのパターンなのだ。

作者自身の台詞

流された街をその場所に復興させることは
流された墓石を元に戻すようなことで 効率はよくないと思うけど
人々がそう望んでいるならしかたがないかって気がする。

本当にそうなのだろうか?

本来は一人一人異なってしかるべき選択肢を、「人々」という言葉でうやむやしているだけではないのか?それぞれの土地で被災した人は、それぞれの土地で復興に尽力しなければならないのか?新天地で新興するのはだめなのか?20年前の私がそうしたように。

それでも、この結論は腑に落ちるのではないか。留まる者にも去る者にも。

3月11日には日本オワタって思ったけど 終わらないね

揺るがず、そして揺れながら。

Dan the Shaken