出版社より献本御礼。
オビより
現代最重要テーマに、教授はどう答えるか?
これはいささか看過し難い看板の偽り。
その問いを問われているのは、市場参加者たる我々。
それに「代わりに答えてしまう」ことそのものもまた、"The moral limit of the market"を踏み越えてしまうことなのだ。
本書「それをお金で買いますか」の原題は、"What money can't buy"、つまり「お金で買えないもの」であるが、邦題の方が本書の真意を正しく捉えている。
原題の答えは、実に単純だ。
What is not sold = 売っていないもの、だ。
1995年以前のインターネット、2007年以前のiPhone、2012年現在における核融合発電所…いくらお金を積んでも、ない袖は売れない。売ったら詐欺だ。
本書が問うているのは、その一つ前。あるいはその一つ後。
あるものなら、売っていいのか?
売っているなら、買っていいのか?
目次に登場する例は、そのほんの一部だ。
目次- 序章 市場と道徳
- 第1章 行列に割り込む
- 第2章 インセンティブ
- 第3章 いかにして市場は道徳を締め出すか
- 第4章 生と死を扱う市場
- 第5章 命名権
- 謝辞
- 原注
例えば、行列に割り込む権利。行列が存在していれば自動的に生ずる。しかしかつては今ほどさかんに売買されていなかった。行列とは先着順というルールを具現化するためのものであって、売上と(その代償として)割り込む者と並ぶ者双方の効用を最大化するためのツールとは見なされていなかった。しかし今や裁判の傍聴からテーマパークのアトラクションまで、「割込券」の売買は、空気のように当たり前のこととなっている。
しかしその「割込券」が、「救急医療を優先的に受ける権利」だとしたら?
本書が提起する課題は、金で買えるのか買えないか、ではない。
売るべきか売らざるべきか、それが問題なのだ。
404 Blog Not Found:理の不安 - 書評 - これからの「正義」の話をしようそう。正しさについて考え、そしてそれを元に行動することには、常に不安がつきまとうのである。そして一度そうする癖がついたら、そこから抜け出すには「蒸発」でもするしかない。"Once known, it can never be unknown or unthought"。それは無知という無垢との永遠の別れなのである。著者は講義の第一回目をそう締めくくり、そして最終講義もそうしめくくっている。
「利の不満」、それは現代社会における「理の不安」の最大要因なのではないか。
そして理の不安に耐えうる者だけが、「正しさ」を問う資格があるように、利の不満に耐えうる者だけが、「市場」を扱う資格があるのだというのが、本書の「答え」ではある。その意味で本書にも「答え」はある。しかしそれはあくまで「答えがあり、答える義務がある」という一種の「存在証明」であって、具体的な答えは本書に書いていないし、書いてあってはならないのだ。
しかしこの教訓だけは、答えを出す前に胸に止めておくべきだろう。それは、一度市場化したものを非市場化するというのは実に困難であり、あまりに多くの場合において市場化で得た利益を上回ってしまうということ。その難易度の差は、「魔法少女になる」のと「全ての魔女を生まれる前に消し去る」程度にはあるのではないか。なぜ賭博が違法なはずのこの国でパチンコがなくならないのかといえば、それが一番の理由ではないか。
P. 284つまり、結局のところ市場の問題は、実はわれわれがいかにしてともに生きたいかという問題なのだ。我々が望むのは、何でも売り物にされる社会だろうか。それとも、市場が称えずお金では買えない道徳的・市民的善というものがあるのだろうか。
大事なことなので繰り返す。
売るべきか売らざるべきか、それが問題だ。
Dan the E(conom|tholog)ic Animal

小学校の給食で「もう食べれない」とグズル生徒と
「食べないと大きくなれないよ」と諭そうとする教師
挙げ句には「先生のバーカ」と言われてしまいキレかかる
相手は小学生レベル、自分が駄目な事に気付けない
教師を集めて、生徒を囲んで威圧する。
生徒は恐怖感と不信感、嫌悪感しか覚えない。
相手の立場も理解する気もない自分の都合を押し付けるだけ、通り一遍の対応しか出来ない先生もどき達
結局他人の心がわからない奴が何をどういおうと他人の心に届く事は無い