共著者(山路)より献本御礼。
そうか、そうだよ!
インターネットが「グーテンベルク以来の革命的技術」なら、こっちだって負けず劣らずそうじゃないか。
「印」も「刷」もなしに、「印刷」出来る技術は、印刷技術を超えているのだから。
本書「インクジェット時代がきた!」の要諦は、共著者(山口)の以下の言葉に集約される。
P. 209 - おわりにだがそのとき、私は気づいてしまった。インクジェット技術はプリンターだけで終わる技術ではないということに。
インクジェット技術の本質は、何らかの機能を持った液体を、デジタルデータに基づいて、必要な位置に高速で並べていく技術である。
「これは、将来のものづくりを大きく変革する技術になるのではないか」と共著者はつづけるが、私にはその言葉さえ過小評価に思える。インターネットが変えたのは、コンピューターだけではないもの。
しかしそこに行く前に、まず「何らかの機能を持った液体を、デジタルデータに基づいて、必要な位置に高速で並べていく技術」を検証してみよう。「印」「刷」というが、インクジェットプリンターは実はそのどちらもやっていない。「型を」「押す」という行程が一切ないのだ。にも関わらずそれが最初に応用されたのがプリンターであったがために、我々はそれを未だに「印刷」と読んでいる。
株式会社マイクロジェットを興した共著者ですら、それに気づくのに10年を要したのも無理はない。ましてや一万数千円、ものによっては一万円を切る「安物」の「プリンター」に囲まれた門外漢は、本書をひもといてやっとそれに気づくのではないか。
まずはインクを「糊」にかえてみよう。そして紙を「粉」に変えてみよう。この粉に糊を印刷、いや並べる。並べおわったらまた粉をかけ、糊を並べる。これを繰り返せば、立体が出来上がるのは自明だ。これが3Dプリンターの仕組み。
いや、その仕組みの一つ。3Dプリンターには、光硬化樹脂を使ったものもある。粉に「つなぎ」を配置する3Dプリンターがインクジェットプリンターの進化系なら、そちらはレーザープリンターの進化系とも見なせるだろう。こちらはこちらで、すごい技術だ。
しかし、インクジェット技術は、さらに先に行けるという意味でとてつもない。
最終製品を、それで作り出すことすら可能なのだ。
部品をインクに入れて、並べるのだ。
この方法でトランジスタ(TFT)を作ることも出来るし、ディスプレイを作ることもできる。太陽電池だって不可能じゃない。その時同時に絵を印刷するのはそれこそ "A Piece of Cake" (英語で「お茶の子さいさい」の意)にプリントするほど容易だろう(これもインクジェットならではの芸当)。板屋根ならぬ痛屋根が登場するのも時間の問題かも。
で、太陽電池のことを英語ではSolar Cellというが、インクに本当のCell、つまり生きた細胞を入れたらどうなるか。人工臓器一丁上がり。いや、この場合細胞は「生」なので「生人工臓器」?わけがわからないよ!
夢物語に聞こえるが、生きた細胞でなくともよい人工骨は、すでにこれで作れるようになっている。また生きた細胞をインクに入れて打ち出す技術もすでにある。
型で押すのではなく、細胞を並べる。
ものづくりは、その意味からして根底から覆る。
そして、覆るのはものづくりだけでは済まない。安価なプリンターが印刷という行為を専門家から解放したように、インクジェットアセンブラーは、組立という行為を専門家から解放することになるのだから。
「メタルカラーの時代 5」 P. 24山根[一眞] 金型はモノ作りの基本中の基本だから...
三井[孝昭] そうですよ。「金型」をよく知らん人には、「芸術作品、美術品以外のモノを作るのは全部、金型だ」というてるんです。人間か人間でないかの違いは、「金型を使うか使わないか」だと。
まさに「型無し」。だとしたらインクジェットアセンブラー以前のヒトと以後のヒトは、別人類になっている可能性だって否定できないではないか。特に「別」なのは、インクジェットアセンブラー以後では本当に「必要なものを必要な数だけ作る」ことが可能になること。
デスバレー (研究開発) - Wikipedia
- 「魔の川」:基礎研究から応用研究までの間の難関・障壁
- 「デスバレー(死の谷)」:応用研究からニュービジネスあるいは、製品化(パイロットライン)までの間の難関・障壁
- 「ダーウィンの海」:ニュービジネスあるいは、製品化(パイロットライン)から、事業化までの間の難関・障壁
日本に限らず、「行き詰まった」ものづくりの現場がなぜ行き詰まったかといえば、1個でも1万個でも作れるのに、100個だけ作ることが出来なかったからだ。100個作るためには結局一万個作る必要がある。それでぴったり1万個売れれば万々歳だが、実際には5000個しか売れないということがしょっちゅう起こる。売れ残った5000個は叩き売られれば御の字で、そのまま埋め立て地の肥やしになることも珍しくない。
しかしインクジェットアセンブラーであれば、設計図=デジタルデータさえあれば、いつでも One More Thing できるのだ。
もちろん同じ1万個なら、金型の勝ちであることはインクジェット時代にも変わらない。そういうものはいくつでもあるだろう。「ダーウィンの海」を超えてるものまでわざわざインクジェット化する必要はない。切削加工で金型を省いたAppleならそうしちゃいそうな気もするが。
しかし、デスバレーが渡れなかったばかりに手に入らなかったものは、ハイテクローテクを問わずあまりに多い。インクジェット技術は、そこを橋渡ししてくれるのだ。
そういった時代に、今もなお続く「大量生産、大量販売」を前提とした社会設計がそのまま通用するだろうか。本書をひもときながら、ぜひご一考を。
Dan the Impressed without Impression
これが、商品でなく、人間の労働にも適用されて成り立っているのが現代社会。経営者は、労働者をどれほどかスクラップにしても、何も心の痛みを感じない。理由は、人間も、「大量生産、大量販売、いくらでも代替可能」だから。
ものづくりのありかたで、この原則が崩れれば、カスタムメイド、オーダーメイド、テイラーメイドが当たり前になれば、人間の扱いも変わるし、柳井正(ユニクロの経営者)みたいな人間は、産業の中で居場所を失う。
しかし、ナノテクノロジーはなかなか離陸できない。柳井正はますます社会的な力をつけている。現実は、現状そんなところ。真の「奴隷の解放」は、いつの時代も難事業。