出版社より献本御礼。

いよいよ本日オープンする東京スカイツリーだが、後述するように論ずるに足りない存在だと思っていた。

本書をひもとくまでは。

東京スカイツリー - Wikipedia
東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー、Tokyo Sky Tree)は東京都墨田区押上にある電波塔(送信所)である。2008年7月14日に着工し、2012年2月29日に竣工した。ツリーに隣接する関連商業施設・オフィスビルの開発も行われており、ツリーを含めたこれらの開発街区を東京スカイツリータウンと称する。2012年5月22日に開業予定。

電波塔兼展望台。しかしこの二つの機能とも、「一番じゃなきゃダメですか」と問われればダメだという点で論外なのである。まず電波塔としては、完成を待たずしてアナログ放送は終了し、にも関わらず関東平野の我々は何の問題もなく、来年一月までは今までどおりの東京タワーからデジタル放送を受信している(どころか東京スカイツリーが東京タワーからの電波を遮ってしまう例さえある始末)。そして「世界一高い」展望台としては、はじまる前から終わっている。「世界一」のはあくまで「自立式鉄塔」という付帯条件をつけた上でのことであり、但し書き抜きの「人類が建てた世界一高い建造物」としてはブルジュ・ドバイ改めブルジュ・ハリーファの194mも下になる。「スカイツリーは東京衰退のシンボルだ」というレジス・アルノー以上の感慨、いや嘆息は出ようがない。

いや、わからぬでもないですよ。ブルジュ・ハリーファと東京スカイツリーとどちらが高度な技術が必要かぐらいは。同じく献本いただいた「公式本」を見ればもっとわかる。高層ビルを「基礎」にしてその上に高層ビルを建てるという「力任せ」で世界一までたどりつけてしまうブルジュ・ハリーファと、東京タワーの半分の敷地で、その倍の高さの塔を、三方を川に囲まれた軟弱地盤に、大震災が来ても大丈夫なように建てるのとどちらの難易度が上かぐらい。

それでも一番でないといえば一番でないし、必須でないといえば必須でない。

つまり、論外。

東京スカイツリーというテキストだけを、見たならば。

本書「東京スカイツリー論」が見せてくれるのは、コンテキスト。

目次
序章 坂の上のスカイツリー
第1章 インフラ編/東京スカイツリーに背負わされたもの
第2章 タワー編/世界タワー史のなかのスカイツリー
第3章 タウン編/都市と日本史を駆動する「Rising East」
第4章 コミュニケーション編/地元ムーブメントはいかにスカイツリーを"拡張"したか
第5章 ビジョン編/スカイツリーから構想する〈拡張近代〉の暁

「団塊ジュニア」の「ジモティ」である著者がスカイツリーという、ほぼ字義通りの「薮から棒」なテキストに向けるまなざしは、アルノーや私よりはるかに厳しく、醒めている。

序章 P.19
…しかも、高さ世界一のテレビ塔を誘致してそれを観光資源にしようなどという発想が、きわめてアナクロな高度成長時代の異物だ。「失われた20年」とも呼ばれる1990年代以降の長期不況の中で、ハコモノ建築主導による地方の公共事業がことごとく失敗してきた例に鑑みても、「そんなセンスで大丈夫か……!?」という気持ちにならざるをえない。

「第1章で詳述する誘致プロセスの非民主的な経緯も含めて、新タワーはまさに自らの生まれ育った街の田舎くさい民度の低さを思い知らされる、憂鬱以外の何物でもなかった」とテキストどころか立地というコンテキストまで言葉のアーチでぶったぎった著者たちは、いかにして「大丈夫じゃない、問題だ」から「一番いいのを頼むようになった」のか。

続きはぜひ本書で、と言いたいところであるが、そのきっかけぐらいは紹介してもネタバレにはならないだろう。少なくとも東日本にいる我々は直体験し、残りの日本のみなさんも間接的に体験した、いやしている、のだから。

3月11日、である。

帰宅難民となった著者の目に、「どこからでも見える塔」がどのように映ったのか。

「世界一になりそこねた、実は必要なかった電波塔」にしか見えようがないという人には、本書は不要だ。本体も不要なのに論までなんて、これ以上不要を重ねる意味などありえない。

しかしそこにそれ以外の、いや以上の何かがそこにあることを感じ取れるのであれば、必ず元が取れる。展望台入場券の半額以下で、そこから下界を眺めただけでは絶対得られない視座が手に入るのだ。

それでも、高さはとにかく意匠にもう少し力は込められなかったか。「三角形の土台から序徐々に円になっていく断面」だとか、「五重塔にインスパイアされた心柱」だとかというのは、遠目ではわからない。スカイツリーに高さという「テクニカル・メリット」で抜かれた広州塔の方がずっと「アーティスティック・インプレッション」は高い。本書のような「論」を必要とすることそのものが、電波塔としての機能よりも、展望台としての高度よりも、東京スカイツリーに足りないものではないのだろうか。

しかし本書は、建物は大きく変わらずともその位置づけであれば大いに変わることも教えてくれる。「パリで最も美しい景色は、モンパルナス・タワーからの眺め。なぜかって?モンパルナス・タワーが見えない唯一の場所だから!」というが、そこはかつてエッフェル塔のものだった。東京タワーも、石井幹子によるライトアップがなされる前はそれ以上に無粋で不細工なエッフェル塔の劣化(ただし鉛直方向には拡張)コピーだった。

東京スカイツリーはエッフェル塔や東京タワーのように根付くのだろうか?

それともモンパルナス・タワーのようにいつまでたっても異物のままでいるのだろうか?

その答えへの道程が、今日はじまる。

Dan the Acrophilia