この証明でも充分なのだけど…

「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と聞かれた時、言葉を尽くせない大人が知性を殺す: 不倒城
ちょっと前、「子どもに「こんなこと勉強して何の役に立つの?」と言われた時、「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」と返すのが最強」とかいうコピペをみて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す

大事なことなので、別解も示しておきたく。

なぜ「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」は最強でなくて最凶か?

ヒトとして最強でも、人間として最弱だからだ。

よく考えてみよう。学校の教科書に載っていることは、すべて昔どこかで誰かが考えたことだ。

その意味において、それはいくら自分自身にとって有用であっても、誰かの役に立つことに対してはなんら貢献しない。たとえそれがそれを知らない誰かにとって有益であっても、役に立ったのはあなたではなくそれを考えた人なのだから。もしあなたが感謝されたのだとしたら、それは「著作権侵害」ということになってしまう。

しかしそれでは、それを知らなかった誰かはあなたに対してまるで恩を感じないかというと、それもまた違うだろう。たとえそれがあなた自身の発明発見でなかったとしても、相手の役に立ったのは間違いないのだから。

たとえ誰でも出来ることであっても、それをやってあげたのがあなたなら、あなたには感謝される資格がある。

「人様の頭を使う」というのは、そういうことだ。

作家の面目躍如。しかし「発想がなかった」というのはサンゴ人の名にかけてウソである。

サンゴ人というのは、「天冥の標」Vに登場する宇宙人である。そこだけ紹介する。

この生き物にはちょっとした特徴があった。口腔のある球形の頭部と、一本の長い触手を持ち、触手でとらえた獲物を自分では食べずに、別の個体の口腔に入れてやっていたのだ。つまり自分では自分の餌を取れなかった。群れていないと食事もできない。

他の動物の餌だったヒトが、万物の霊長を自称するほど強くなったのは、強くなったからではない。弱くなったからだ。サンゴ人のように、群れていないと食事もできないようになったからだ。

「こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?」の一言は、サンゴ人の触手を断ってしまう。

「しかしサンゴ人なんてフィクションじゃないか」という人には、乙武洋匡を勧めておこう。私が知る限り最強の人間の一人なのだが、なぜ最強かといえば、個体としては最弱だから。

だからこそできること」P.13
「どうしたらいいんだろう」と戸惑われるのはこっちもしんどいし、なんか逆に「ああ、全然いいですよ」みたいな感じでやってくれればこっちも楽だし。だから自然と人を見るようになる。例えば目の前に3人の人間がいたら、どの人に頼めばお互い気持ちよくやってもらえるかわかっちゃうんです。

私が一番教わりたかったのは、そして娘達に一番教えてほしいのは、この能力だ。

しかし今のところ学校では、人に助けてもらわずにすませる方法ばかり教えているし、社会に出ても人に助けてもらうことがいかに悪いことかばかり吹聴される。テストの問題を人に訊ねたらそれはカンニングだし、生活保護を受けたらそれはチートだと言われる(英語ではどちらもcheat)。

しかし実地においては、解答を自分の言葉だけで書いたら[要出典]だし、病気の子どもに勝手に薬を煎じたら薬事法違反になる。重大事ほど、自分だけで行ってはいけないのである。

そして、他人に行ってもらうというのは、自分で行う以上に難しい。

特に難しいのは、真意を言葉にすること。そして言葉から真意を取り出す事。

たとえば懇ろになりたい相手に「私はあなたと性交することを欲しています」といったらどうなるか?

「こんなこと勉強して何の役に立つの?」という疑問に対して即座に勉強の効用を説くのは、真意ではなく言葉に反応している点において、大差ないのだ。

教わる立場で「こんなこと勉強して何の役に立つの?」という疑問が頭をよぎったら、疲れている証拠なのでそのまま「そろそろ一休みさせてください」と言ってよい。そして教える立場でそう言われたら、即座に休憩すべきである。

勉強に戻るのも、勉強の効用を解くのも、一息入れてからの方がずっと楽で楽しいはず。なにより「触手を痛め」ない。

「ゆとり教育」のゆとりって、そういう意味ではなかったのか?

というわけで私も一休み。

Dan the Interdependent