悪いニュースだ。
平成24年6月8日 野田内閣総理大臣記者会見 | 平成24年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ以上を申し上げた上で、私の考えを総括的に申し上げたいと思います。国民の生活を守るために、大飯発電所3、4号機を再起動すべきというのが私の判断であります。
原発推進派にとって。
え?逆じゃないかって?
そういう方は、原子力船むつの沿革をお忘れか(1969年生まれの私よりご年配の方)、そもそもご存じないか(私より若い方)のどちらかだろう。
むつ (原子力船) - Wikipedia
- 1969年6月12日 石川島播磨重工業東京第2工場にて進水式。
[中略]- 1974年8月26日 漁船団の包囲網の、台風14号によるスキを突いて、大湊を出港(予定は25日であった)。
- 1974年8月28日 原子炉が初臨界に達する。
- 1974年9月1日 遮蔽リングの設計ミスにより、北太平洋航行中に放射線(中性子)漏れを観測する。試験中止。
- 1974年9月5日 陸奥湾漁民ら、帰港反対を決議。むつの「漂流」が始まる。
むつの漂流は、この後14年にも及んだ。
そしてたった8万km原子力航行した後、形の上では「技術的成功」を納めさせた上で、原子炉を通常動力に積み替えて「みらい」に生まれ変わった。
- 1988年1月27日 新母港、むつ市関根浜港入港。
- 1988年8月4日 関根浜港で原子炉の蓋容器開放、点検はじまる。
- 1989年10月30日 蓋開放点検終了。
- 1990年3月6日 起動前試験終了。
- 1990年7月 原子力航行を行う。
- 1991年2月〜12月 実験航海、82000km(地球2周以上)を核動力で航行。
- 1992年 原子炉停止。
「ご理解とご協力」を一方的に進めた上で、それすら得られないうちに見切り出航した結果が、これだ。
「ご理解とご協力」の何がまずいか。
対話と譲歩の欠如である。
「ご理解」するのも「ご協力」するのも、国民であって政府ではない以上、それは一方的な最後通牒にしかならない。
さすれば国民としても「黙って従う」と「だが断る」の二択しかないことになる。
本当に「原発は重要な電源」だとしたら、むしろ計画停電を通じて原発のない痛みを国民に負担してもらう方が、自然な合意形成がなされるだろう。言葉は悪いが、それでこそ国民と政府は「共犯」になる。「国論を二分している状況で1つの結論を出す。これはまさに私の責任であります」では、政府は「単独犯」にしかならない。
それでもまだうまく行かなかった場合に「非を認めて」「罪に服す」というのであれば、国民も「そこまで言うのならやってみろ」と政府に下駄を預けることにも納得できるのかもしれないが、原子力安全委員会の委員長すら震災前のままで、日本における原発推進の最大の功労者の一人である中曽根康弘すら勲章一つ返上しない現状で、誰がそれを信じられるというのだ。
その上大飯原発が再稼働しても、計画停電が回避できるとは限らないのだ。
朝日新聞デジタル:関電の計画停電、2時間ずつ 6グループに分ける案 - 経済関西電力が準備している今夏の計画停電案が7日、明らかになった。管内全体を6グループに分け、2時間ずつ順番に停電させる仕組みだ
総理大臣殿、これでは原発行政は原子力船と同様漂流するのは必至です。
何とぞ御理解をいただきますようにお願いを申し上げます。
Dan the Taxpayer
その間に福島の反省から、対策をしている大飯は安全。
稼動させるのは当たり前だけど、その決断と行動がこの人では誰も信用しない。本来なら、関電の代表がその役目をすればいいのに。