一部献本御礼。
いつかなるべく短い書評を書かなきゃと思いつつ書きあぐねてきたのだけれども、あるtweetが背中を押してくれた。
本作「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」は、いまや「ファーストガンダム」というレトロニムが必要になったほど広がった「ガンダムワールド」の元祖にして"Gundam Economy"の源流、アニメ「機動戦士ガンダム」を、同作のアニメーターでもあった作者が漫画化したもの。ストーリーはほぼ劇場版三部作に沿ったものとなっている。
あまりに有名なオープニングナレーション人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。地球の周りの巨大な人工都市は人類の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった宇宙世紀0079、地球から最も遠い宇宙都市サイド3はジオン公国を名乗り、地球連邦政府に独立戦争を挑んできた。この一ヶ月あまりの戦いでジオン公国と連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。
人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた
で、私にこれを書かせるきっかけとなったtweetである。
@dankogai ガンダムを通じて戦争を語ることはギリギリ出来ると以前岡田斗司夫さんはおっしゃっておりましたが、エヴァは僕みたいな素人からしても突っ込みどころが多すぎるような気がしています。素朴な疑問ですが、小飼弾さんにとってエヴァは軍事を語るに値するのでしょうか?
— ダイシ(田島大士) (@DaishiZeppelin) June 12, 2012
とりあえずエヴァは「Q」を見てから語るとして、その前に「ガンダムを通じて戦争を語る」が何を意味しているのかについて記しておきたくなったのだ。
まず、戦争を描くにあたって宇宙を用いることがいかにアホかということから説明しておきたい。なぜ戦争がはじまるのか?この答えは実はあっけないほどシンプルだ。
一つの「場所」を、二つ以上の集団が欲するから。
それ以上でもそれ以下でもない。「場所」は土地のような有形なものに限らず、「利権」のような無形のものまで含まれるので括弧でくくったが、いずれにせよ戦争とは「場所争い」として始まる。例外はない。異論は歓迎だけど。
ところが、宇宙というのは「同じ場所を求める」には広すぎるのだ。スペースコロニーが実現した本作の世界において、場所を争うという行為はもはや意味を持たない。今いる場所が気に喰わなければ、別のコロニーを建設して移住するだけでよいのだから。本作の「一年戦争」はあるコロニーの独立戦争なのだが、独立戦争以前に、「人類単一国家」である地球連邦自体、「いくらでも世界を増設できる」世界で成立すること自体つじつまがあわない。よくて現在の国連程度の、「国家の上に立つ」のではない「国家の寄り合い所帯」である「コロニー連合」が出来るのが精一杯だと私は考えている。
それでいて、宇宙というのはあまりに過酷で、とてもじゃないがメガ粒子砲を撃ち合っている余裕はない。ましてやコロニー落としなんぞした暁には、たった「一島」で地上の人類のライフはゼロになるのは、白亜紀末期に恐竜たちを滅亡させたと言われる隕石が直径たった10kmだったことからも推察できる。コロニーはそれよりでかいのだ。
そんな広くて過酷な宇宙で戦争を成立させるのがいかに難事であるかは、「ストリンガーの沈黙」が一番よく描けていると思う。よく描けているだけに、モビルスーツどおしが格闘戦するというのとは正反対の、静かで「絵になりにくい」宇宙戦争の「おもいつく限りの現実」がそこにはある。それゆえ著者には申し訳ないけどガンダムのように売れるということはガンダムワールドが現実になる以上にありえないけど、「宇宙戦争の耐えられない軽さ」に我慢ならない人はぜひご一読を。
しかし「機動戦士ガンダム」は、「人類どおしの宇宙戦争」を描いた作品であると同時に、バンダイのプラモデル=ガンプラという商品を売るための広告という商品でもある。架空兵器の玩具が売り物なのに、「でも、宇宙じゃ戦争になりえませんから、残念!」では文字通りお話にならないどころか商売上がったりである。
ガンダムが日本の「物語産業」において史上空前のヒットになった理由が、ここにある。
「子供だまし」を商売とする「大人の事情満載」の環境であるにも関わらず、富野由悠季は視聴者をガキ扱いしなかったのだ。
玩具の販促である以上、「かっこいい兵器が縦横無尽にかけまわる」宇宙戦争は譲り難い。しかし勧善懲悪とはほど遠い、正義と正義の戦いである戦争というものを、「知識はまったくなく、知性は無限にある」視聴者にガチで示したのだ。ファーストガンダム以前に、主に未成年である視聴者をこれほど一人前の受け手として扱った作品を、私は知らない。
だから、あのオープニングなのだ。
理由はさておき、もう戦争は始まってしまったのだ。
あとは「みずからの行為に恐怖した」人々の姿を、「商品」としての制約の範囲内で「作品」化していけばいい。その制約はかなり厳しいものではあるけれど、それでも「戦争を語ることはギリギリ出来る」ことを、同作は示したのだ。
その厳しい制約の中で、同作ほど「たかが絵空事」にしないよう設定に腐心した作品は今もなお珍しい。宇宙においても接近戦を成立させるためのミノフスキー粒子。一品物ではなく、量産される兵器たち。「ホワイトベース」ではなく「木馬」と呼ぶことで引き立つ情報の不確実性…。ガンダム自体が一品物であることにすら、ジムのプロトタイプという言い訳、いや設定が用意されている。
本作"THE ORIGIN"はさまざまな意味で「原作に忠実」な作品であるが、最も原作に忠実なのは、この姿勢ではなかろうか。本作は100%「原作通り」の作品ではないが、「原作と異なる」部分はほぼ全て「一人前の読者であれば避けようがない違和感」を発展的に解消するためにそうしたものである。
私は本作でやっと納得できた。
マ・クベの「これはいいものだ」の真意を。
さらに嬉しかったのが、ドズルの描写。本作におけるマイベストカットは、彼がミネバを抱き上げて破顔する一コマ(第19巻)。「安彦良和ほど筆が立つ人を、すでに完結した物語を描き直すために10年も拘束するなんて角川はみずからの行為に恐怖しるっ」とずっと苦々しく思っていた私も、これは破顔せざるを得なかった。うん。これはいいものだ。でも「待ってるんだぞミネバ」は写植ではなく安彦文字にして欲しかったなあ…
だからこそ、言える。
THE ORIGINが完結した今だからこそ。
Gundam Economyの参加者各位は、たまには「どうガンダム」ではなく「なぜガンダム」なのかを考えてほしい、と。今放映中、連載中のものも含め、数多の「ガンダムズ」のうちどれだけが「それが『ガンダム』である必然性がある」のかを。フィクションとはいえ世界を作ることの困難さを鑑みれば、すでに受け入れられた世界を使い回そうとする「大人の事情」も理解できるし、それは別にガンダムに限った事ではなくて、「君は、生き残ることが出来るか」を実証した作品であればどれにでも起こりえるものではあるけれど、ガンダムが成立した理由は(玩具を登場させる舞台として)「戦争を描いた」ことにあっても、受け入れられた理由はそうではなく「ガキを一人前扱い」したことにあることをたまには思い起こして欲しい、と。
Dan the "1st Gundam Generation"


別に月と地球のラグランジュポイントに拘らなくてもいいやん。
木星まで往復するテクノロジーは既にあるのだから火星でも金星でもテラフォーミングすりゃいい。
マクロスみたいにコロニーごと打ち上げて放浪してみてもいいし
ハレー彗星みたいに太陽系をマッタリ廻ってもいいやん
「地球連邦」を名乗る政府がってたとえ寄り合い所帯でもああいう統一政権が長続きしたためしは無いやん、人類史上。たとえ大帝国を作ってみても纏まるのは強力な外敵がいる期間限定だしね。黒船がこなければ日本は幕藩体制のままだろうし、騎馬民族がいなけれはせ中華帝国はもっとバラバラの状態が基本形態だっただろうしね。