出版社より献本御礼。
1992年の著者デビュー作が、20年の時を超えて復刊。
栴檀は双葉より芳しとはよく言ったものだ。受難という、ある意味最も難しいテーマを最初から選んでいるのだから。「黄金の王 白銀の王」をものにできたのも、作者が作者だからだ。
まさに不朽の名作。しかし名薬と同様、この名作の味はすこぶる苦い。覚悟して読まれたし。
「黄金の王 白銀の王」は為政者の受難の物語であったが、本作「リフレイン」は、法律家の受難の物語。
カバー背よりせめぎあう二つの正義。争いは人間の本能なのか? 一隻の船が無人の惑星に漂着したことからドラマは始まった。属す星も、国家も、人種も異なる人々をまとめあげたリーダーに、救援後、母星が断じた「罪」とは!?
「無人の惑星」「母星」とあるように、本作をあえてジャンル分けするとSFということになる。しかしこれは多国籍の乗員を載せた船を、どこの国にも属さない無人島に難破させるためにそうしたのであって、現代においてそのような地は南極ぐらいしか残っておらず、むしろSFにした方が思考実験を自然に進められるからそうしてのであって、舞台が宇宙である必然性はさほどない。
それではなぜ「どこの国にも属さない無人島」でなければならなかったのか?
法を、作り上げるためである。
生き残った200余名は、救助されるその日まで生き延びるために暫定国家イフゲニアを作り上げ、その国家を法によって統治することにする。限りある資源を少しでも有効に分配し、一人でも多く故郷に帰すため。生存者たちの母国の法はそのまま援用できない。そこは母国ではないし、その母国も他国に渡っている以上。
その初代執政官に任命されたのが、本書の主人公ラビル・アンフォード。メリエラ星の弁護士。彼は見事な手腕で生存者たちをまとめあげ、法の元での秩序を彼らに受け入れさせる。宇宙船の難破から暫定国家の成立までが本書の第一の見せ場で、サバイバルものとしても本書は楽しめる。
しかし破ることすらままならない天の法、つまり物理法則と異なり、人の法にできるのはせいぜい破った後にどのような制裁を与えるかを決められるのみ。そして例によって脱法者があらわれ、彼の処遇をどうするかという問題が発生する。ここからが実は本番。
生粋の弁護士であったラビルは、その脱法者の弁護を試みる。しかしイフゲニアの法が下した判決は、死刑。ラビルは執政官として、脱法者を処刑する。イフゲニア法の目的を鑑みれば、それを悪法だという人は誰もいないだろう。脱法者ですらそれには同意したはずだ。なにしろラビルに刑の執行を嘆願したのは彼本人なのだから。
そして月日は経ち、やがて救助が訪れる。ここで話が終われば本作はただのサバイバルものなのだが、しかしここからが本作を本作たらしめる、真の受難のはじまりでなのである。なんとラビルは本国メリエラ政府によって、殺人罪で逮捕、起訴されてしまう。不殺と非暴力を国是とするメリエラにおいて殺人罪というのは情状酌量の余地なき大罪で、量刑は終身刑のみ。イフゲニアの人々を法によって救った主人公を、母国は躊躇なく自国の法で裁く。
ラビルに下された判決は?そしてその驚愕の結末とは?
あとはもう読んでくださいとしかいいようがないし、実を言えば本作を17歳で読んだ後20年後に読み直したという小川一水の解説が実に見事で本entry自体蛇足の一本ではあるのだが、一番驚きなのは、本書における主要事件の全てが合法だ--はずだ--ということ。私は法の専門家ではないのでここはハード物理SFが物理学者によって考証されるのと同様、ハード法理SFたる本作もぜひ法学者によって検証されて欲しいところなのであるが、それでも法治国家における一有権者として読んだ限りにおいて、いずれも合法なのである。イフゲニアが独自の法を定めた事も合法なら、それに則って脱法者を処刑したことも合法なら、ラビルの母国が彼を逮捕起訴したことも合法なのだ。なんとあの結末さえも。
一番合法性において疑念が生じるのは、メリエラ政府がラビルをイフゲニアにおいて逮捕したこと。メリエラ政府の司法権はイフゲニアには及ばないはずで、ラビルが他国にいたのであれば犯罪者引き渡し条約などに則って身柄は現地政府によって拘束された上で母国に引き渡しされるはずであるが、しかしこの時点においてイフゲニアの住民はほとんどが救助された後それぞれの母国に帰国している状態で、イフゲニア政府そのものが事実上解消した状態であったし、ラビルの逮捕も身柄拘束というより任意同行というありさまで、ノリエガ将軍を侵略の末に逮捕した米国の「他国の法を蔑ろにした法執行」とは天と地の差であり、「救助した後に逮捕した」といえば反駁しがたい状況であり、ここにおいても作者が合法性に心を砕いたかがしのばれる。
徹頭徹尾合法を貫いた結果の、受難。
本作のすごみが、そこにある。
さすがにデビュー作だけあって、後の「黄金の王 白銀の王」と比べると人物のぎこちなさはやや気になる。なぜラビルがこれほどの朴念仁、失礼、受難を厭わない遵法者になったかの説明が少し足りないとは感じた。同作の薫衣の若気の至りが彼の民を犬死にさせたというような、人物を必然へと追いやる「そうならざるをえない」エポックメイキングなエピソードがあればなおよかった。
しかし本書のテーマはそこではないし、ファンとしてはむしろ作者はその後も成長を続け、プロットという骨にふさわしい肉を作品に与えられるようになったことを寿ぐべきである。
人々が人々であるために、あえて難を受ける人々。
そういう人を描くにあたって、著者の右に出る人はいないようだ。
この秋に復刊予定の「ヤンのいた島」もどうやら受難の話らしい。なんとも待ち遠しい。どうやら私は作者の苦味の虜になってしまったようだ。沢村なき日本語なんて、珈琲のない食卓のようにしかもはや感じない。
Dan the Lawed

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