出版社経由で著者より献本御礼。

一言で言うと、ニートは働き者だという一冊。

極論してしまえば、NEET=Not in Education, Employment, or Training とそうでない人の違いは、誰のために働いているかの違いでしかない。

もし人様のために、人様に言われて働くのがだるいと感じたら試してみるといい。自分のために、自分の心の声に従って働く素質と覚悟が自分にあるのか、を。

本書「ニートの歩き方」を読んでも、ニートとして歩けるようにはならない。あなたがすでにニートとしての歩き方を知っている、いやニートとしての歩き方を知る方法を自分の内に持っていない限り。看板に偽りありといえばそれまでではあるけれど、しかし本題をs/ニートの//した「歩き方」をきちんと著した本などあるのだろうか?今歩ける人は、誰に歩き方を教わったというのだろう?ヒトはヒトとして生まれ育てられるだけで、障碍さえなければ本など読まずとも歩くようになる。

しかしもしヒトではなくオオカミとして育てられたとしたら?

本書は、その意味で自分が「天然の」ニートなのかどうかを見極める試金石であり、そしてもしそうだった場合「自然に帰ろう」と訴える「自分のススメ」である。

pha『ニートの歩き方』:エリートによるエリートのための本。 - 山形浩生 の「経済のトリセツ」
こういうエリート層が可能なくらいには日本は豊かだということがよくわかる

エリートか。確かに言い得て妙ではある。eliteの俗語、LeetとNeetは一時違いであるし。しかしこれはエリートにもニートにも失礼な言い草ではないか。

エリート - Wikipedia
「エリート」(仏: elite)の語源は「ラテン語: ligere」(選択する)で、「選ばれた者」を意味する[1]。

プロの翻訳者である発言主がこの語源を知らぬわけではないのだが。エリートは、選「ばれた」ものなのだ。それも人々によって。同じ選ばれし者でも、天によって選ばれたものはギフテッド(gifted)と言うのだ。

人によって選ばれた以上、エリートというのは例外なく育てられるものである。育てられるまでもなく居場所を得ているものは、エスタブリッシュド(established)と言う。著者はほとんど日本人と同じく、エリートになるべく育てられた。本来は国家の国民に対する義務のみ定める憲法にすら、国民に子弟を教育させる義務を明記し、そして九年間も義務で学校に通わせるのはエリート教育以外の何物でもない。そのうちどれだけがエリートとして選ばれるかは関係がない。誰にも選ばれる機会があるのだから。

そして実際、著者はエリート候補生の一人として選ばれてしまう。京大生になったのだ。その運営に多大な税金がつぎ込まれている以上、旧帝大はエリート候補生訓練校と言っていいだろう。エスタブリッシュドには彼ら用の大学が別に用意されているのだから。

しかし碩学の山形でさえ、いや碩学だからこそ混同するように、実際のところギフテッドとエリートというのは混同されがちだ。両者は直行する概念ではない、つまりギフテッドなエリートはありえるけれども、ギフテッドでないエリートの方がずっと多いし、そして実のところエリート向きではないギフテッドもずっと多いのだ。おかげで著者はeducationに飽き足らず、さらに三年employmentを重ねるという遠回りをして来た。

しかしその遠回りは、決して無駄ではなかった。寮生活を通してギークハウスの運営の仕方を学ぶことも出来た。なにより「だるさ」を通して自分のgiftを知ることが出来たのだから。

はじめに
ただ、最初に言っておきたいのは、この本に載っているのは「働かなくてもアフィリエイトで月収50万円!」みたいな景気の良い話ではない。そんなうまい話はやっぱりあんまりない。基本的には「一般的な生き方のレールから外れても、ものすごいダメ人間でも、なんとかギリギリ死なない」というくらいのところを想定している。

実際僕の生き方にしたって、時間だけは腐るほどあって毎日ゴロゴロと寝て暮らしているけれど、お金はあんまりないし、将来のことも全く考えていない。僕はそもそも興味がないのでかまわないけど、ニートだと結婚したり子供を育てたり家を買ったり車を買ったりすることは諦めないといけないだろう。高級な飲食店で飲み食いしたり高級な店で買い物したりするのも難しいし、ヨーロッパやアフリカに旅行したりもできないだろう。

しかも、僕はたまたまうまくいっているほうだけど、他の人がみんな僕と同じように生きられるわけでもない。多分、大多数の人は僕の送っている生活よりも普通に働いていたほうが幸せで安心な生活だと感じるんじゃないだろうか。

これまた妙なる附合なのだが、21世紀に入ってからのITの進化は、高性能より省電力がメガトレンドとなっている。著者はIntelになるべく育てられたが、やっとARMとしての自分を見つけたといったところだろうか。著者の生き方を認めないというのは、スマフォやタブレットを認めずパソコンにあらんずばコンピュータにあらずと言わんがばかりの暴挙だと私は感じる。

それではパソコンはオワコンかというとそんなことはない。高性能が尊ばれるところでますます大活躍している。それはもはやパソコンと呼ばずに(IA)サーバーと呼ばれているが、「あちら側」でもチープ革命が起きたのはまず「こちら側」でチープ革命が起きてこそではないか。

そして、チープ革命が最も進んだのが、知識である。

小飼弾「働かざるもの、飢えるべからず。」を読んで - phaのニート日記
弾さんがベーシック・インカムを薦めるのは集合知を信じてるからっていうのもあるんだよな。つまり政府の賢い人が税金の使い方を決めるのでなく、お金をみんなにばらまいてみんな自身に使い方を決めてもらうという形。それが最善になると信じている

ただし今のところは、まだそれを再生するのには結構な「ギフト」がいる。その中でも特に「高性能向け」を「省電力向け」にリファクターする素養が今はかなりいる。「自炊はニートのたしなみ」と著者はさらりと言っているけど、いくらクックパッドを見たところで、「自炊がだるい」人には、著者の言ってる事付いていけない、全然納得出来ないだろう。そういう人は、外食するために働けばいいだけのことだ。

私は、それぞれがそれぞれのために働くことが一番社会のためになると信じているし、社会の進歩とはそれが拠り容易になることだと心得ている。無給か有給か、週二時間なのか二百時間なのかはどうでもいい。だるい奴に職場に居座られたら、みんなだるくなるではないか。著者は自分がニートになることで、自らのみならず社会により有益な存在となったのだ。

著者はそれをきちんと実現している。「たかって」はいても「奪っては」いないし、社会保障費を支払っているに至っては感心するやら呆れるやら。

弾言、いや断言しておこう。

あなたがあなたであることを彼/女に認めてもらう一番の方法は、彼/女が彼/女であることを認めることである、と。

【読書感想】ニートの歩き方 - 琥珀色の戯言
phaさんが語る「ニート」は「自由」なのだろうか?って。

自分から自由になれる人など、いない。

しかし互いを自由にすることなら、できるんじゃないか?

Dan the NEET