出版社より献本御礼。

添え状より

「ものづくりの現場にもっと数学を!」

二重の意味で、禿同。「激しく同意」かつ「著者の禿頭にかけて同意」(失礼:-)。

以下、本書の内容そのものというよりなぜ私がそれに同意するのかについて書く。本書の実例はあまりに面白いのでそこをネタばれせずに紹介するにはそうする他なかったので。

本書「とんでもなく面白い 仕事に役立つ数学」は、「渋滞学」「シゴトの渋滞、解消します!」の著者による、仕事場における数学のススメ。それにしてもこのタイトルもう少しどうにかならなかったか。説明的だけど退屈すぎだし、なにより前著「とんでもなく役に立つ数学」にかぶる。一般論だが学者な著者は、書名をもっと考え抜くべき。名前重要。メルセンヌ・ツイスターみたいなセクシーなのを頼む。

ところで今、私は「一般論」といった。なぜ仕事場で数学かの答えが、これだ。

数学化とは、一般化のことなのだから。

一般化すると何がすごいか?

あえて「仕事」にコンテキストを限定化してさえ、今そこにいる顧客だけではなく、条件にあてはまる全ての人が顧客となりうるではないか。

添え状より
いま、日本の製造業はとても苦しんでいます。海外の製品に押され、価格競争の悪循環でますます収益が落ち込んでいます。微力ながらこの状況を少しでもなんとかできないか、と考えつづけてきました。その思いをようやく形にしたのが本書です。

なぜそうなったのか?日本の製造業が、既存の顧客を大切にするあまり一般顧客のことを忘れていたからだ。「既存の顧客」はケータイなどでは「日本人」となるが、そればかりとは限らない。海外顧客をどっさり抱える製造業者でも、「顧客の業界」という特殊例に囚われてはいないか?

そのために大事なことは、たった二つ。

  1. あえて細部を捨ててみること
  2. その代わり細部を捨象したのちの「一般」には、例外なくそれが適用できること

その過程は、まさに数学そのものなのだ。ここで本書と仕事がかぶらず、数学がかぶる例を一つ紹介する。AV圧縮。アダルトヴィデオじゃなくてオーディオヴィジュアル(まあアダルトヴィデオもオーディオヴィジュアルという一般論の中の一事例ではあるが)。

ここにおける1.は、「非可逆」だ。それまでいかにデータを正確に転送し保存するかばかり腐心してきた計算機科学者たちにとって、これを受け入れるのがどれほど大変だったか。しかしそれを受け入れたことで、JPEGMP3H.264も成立し、我々は日常的に画像も音声も動画もコンピューターで扱うようになった。あえて可逆を捨てることで、対象は一般化したのだ。

しかし「一ビットたりとも違わない」は一般的に受け入れられても、「同じように見え、同じように聞こえる」は譲れない。必要とされている圧縮率は、可逆圧縮の数倍とは文字通り桁違いの数十倍、動画ともなれば数百倍。これを解決したのは、フーリエ変換だった。一旦波にしてから、高周波のディテールを落とす。着想自体はローパスフィルタという形でアナログ時代からあったのだろうが、これをデジタルにしたところが素晴らしい。がそれがために「可逆」を諦めることにどれほどの葛藤があったのか、部外者の私には想像するほかない。

しかしなぜ往事の技術者たちがそれを思いついたのか、というよりそれをものにするまで頑張れたのかなら私にもわかる。数Kbpsという、現在とは桁が三つも四つも五つも六つも違うナローバンドな伝送路でも、なんとかして画像や音声を送り届けたかったのだ。

ではその画像はどんなだったのか?

こんな画像である。Lenna。画像処理技術者なら何度も見た事があるはずのポートレイト。実はこれ、Playboyの1972年11月号のピンナップ写真なのだ。クロップされる前の元写真は、もちろんヌード。元絵の高解像度版は1084x2318ピクセル。24ビットフルカラーだと7,538,136バイト、7.2MiBというのは、8Mピクセルのデジカメの画像より大きい。

JPEGなら、q=75(libjpegの標準)で324Kバイト。20分の1以下だ。

Lennaの後日談は"The Rest of the Lenna Story"で読んでいただくとして、いずれにせよ技術者たちのスケベ心なくしてJPEGは生まれなかったというのは弾言できる。数学化の原動力は、これでいいのである。

ただし重要なのは、そこで止まらない事。自分の欲しい写真だけを手に入れて満足してしまえるのなら、別にJPEGはいらないBMPでいい。いやそもそもコンピューターを使う必要すらない。紙に刷られて安価で入ったのだから。「一般的な写真を1/20の容量で記録するにはどうしたらよいか」。そこまで考え抜いてようやくJPEGはものになったのだ。

一般化は決して楽な道ではない。細部を捨て過ぎれば荒くて使い物にならないし、細部を残し過ぎれば今度は重すぎて使いものにならない。しかし一般化がうまく行ったときの報われた感、これぞ仕事の醍醐味と呼ぶに値する。

もしまどかが、さやか(とほむらとマミと杏子)だけを救っていたら、あれほどの名作になったか?

目の前の客だけを満足させて満足できる人に、本書はいらない。

しかしもしあなたが--あわよくば--全ての人を、生まれる前に救おうというほど大それた野望を抱くのであれば 、数学からは逃れられない。逃れられないのであれば、仲良くすべきではないか。本書が、その具体例を示してくれる。

Dan the General Blogger