出版社より献本御礼。

こういう本を待っていた!

まさに

という一冊ではないか。

本書「ヒッグス粒子の謎」は、CERNの中の人、厳密にはCERNに出向している日本の実験物理学者が著したタイトルどおりの一冊。

ポイントは、著者が実験物理学者であるというところにある。

404 Blog Not Found:何人たりとも斥けぬ力 - 書評 - 重力とは何か
本書の主題「重力とは何か」に書かれた本は多い。世界一有名な物理学者アインシュタインの主業績ということもあり、レッドオーシャンどころか赤方偏移が進んで2.7Kになりそうなほど。その中であえて飾りっけゼロのタイトルを持って来たところに、著者と編集者の自信が伺える

このとおり、理論物理学者の手による物理入門は少なくない。「重力とは何か」しかり、「宇宙は何でできているのか」しかり。佐藤勝彦のように出す本が片っ端から名著になりすぎてかえって単著を取り上げにくい人までいるし、南部陽一郎のようにすら著者リストに連なる。

しかし数において圧倒的に多いはずの実験物理学者による一般入門書となると、ぐっと少なくなる。「ニュートリノ天体物理学入門」ぐらいではなかろうか。サイレント・マジョリティー。まるでニュートリノではないか。

そのニュートリノは、重力と弱い力にのみ反応する。だからなかなか見えない。しかしこの弱い力ほど、近年の物理学者たちを魅了してきた相互作用もない。著者は言う。「本当は『重い相互作用』と言うべきです」と。

本書は、読者にその「重い相互作用」の重さを実感させるためにある。実際四つの相互作用のうちゲージ粒子に重さがあるのは「重い相互作用」だけだし、粒子の世界において「重い」は「なかなかお目にかかれない」を意味し、そしてヒッグス粒子は「重さ」という概念そのものの根幹を成す粒子である。

そのなかなかお目にかかれない重い粒子を覗くための装置、LHCは世界で最も重い科学装置でもある。なぜそれほど大きく重い必要があるのか。その大きく重い装置を成立させるのに一体どれほどの人々が関わっているのか。本書は、彼らの血と汗と涙の臭いがする。物理(physics)とはこれほど肉体的(physical)なものだったのか…

しかし悲しいかな、多くの人々の血と汗と涙が関わっているということは、個々の人物に焦点を当てにくいということでもある。それを最も端的に示しているのが、ノーベル賞の受賞パターン。もう圧倒的に「理高実下」。アインシュタインが受賞してエディントンが受賞せず(まあ受賞対象は一般相対論ではなかったけど)、李政道楊振寧が受賞して呉健雄が受賞せず…小柴やルビアのような例もあるけれど、これも関わっている人数が多すぎるにも関わらず、平和賞を除いて団体受賞が用意されていないため「代表」に渡したという意味合いが強い。こんなぼやきが出るのも当然だ。

私の友人にも、「もし、このヒッグスに関連して受賞することになっても約8000万円、それらをヒッグス等、理論の人と実験側で分け、さらにCERNでこの研究に携わった科学者は数千人単位だから、ひとりあたりいくら…と一晩の飲み代にもならないな…」などと気の早いことを言っている人がいます。

ノーベルが悪い。

とはいえ、別に彼らはノーベル賞が欲しくてこの稼業に取り組んでいるわけではない。いや稼業というにはあまりに儲からない。LHCの建造費用は3800億円。ノーベル賞など棟上式のおひねりにもならない。余談であるが、LHCの前にはSSCという計画があって、その見積もりは7000億円(とあるけど、それは今が円高だからで、当時は「一兆円」だった)。結局お取り潰しにあって物理学者たちはクビになり、クビなった物理学者たちの就職先が金融工学で、彼らの編み出したクォンツがその後のITバブルとリーマンショックの遠因になったのだとか…

本書にはそんなこぼれ話がいくつも出てきて、それだけでも別の本が一冊書けそうなのだけど、本筋に戻って、一体何が彼らを突き動かすのか?そしてなぜ彼ら実験物理学者を、それ以外の市井の我々は後押しすべきなのか。

そう。実験物理学者にもなれない、市井の我々。税金を通して彼らを支えている以上、我々もまた無関係ではない。本書はその意味で説明責任の書でもある。いや、説明責任といったけれども、こんなわかりやすくて面白い報告書はない。「ブラウン管も加速器」「素粒子はウソつき」「陽子一個がショウジョウバエ一匹」…これほど物理本で抱腹絶倒したことはありませんでした。責任を持つ=be responsibleというのは、重いけど実は楽しいことでもあるんだよね。

弱き実験物理学者たちの本当の重さと楽しさをを、ぜひその手で。

Dan the Weak Force of the Cyberspace