小木田さんより再び献本御礼。

404 Blog Not Found:何人たりとも斥けぬ力 - 書評 - 重力とは何か
こうなると欲も出てくる。残り三力もお願いします。特に「強弱つけて」。

前回の「重力とは何か」から一年も経たないうちに強弱つけてくださるとは、先生、仕事早すぎ!

本書「強い力と弱い力」は、現在までに四種類見つかっている(物理的)力のうち、もっとも日常生活から「遠く感じられる」、「強い力」と「弱い力」を、数式を一切用いずに言葉で説いた一冊。

しかし、数式以上に著者が使わなかったのが、素人を煙りに巻くたとえ。例えばヒッグス粒子を水飴に例えるのがそれに相当する。「水飴」のどこが「素人騙し」なのかは本書をしかと読んでいただくとして、著者が用いる例えは、こういうもの。

はじめに
しかし、たとえ話がすべて間違っているわけではありません。私たちが研究者同士で議論するときにもたとえ話を使う事があります。
私の場合には数学的な式で表現される内容に視覚的なイメージを持っているので、机に向かって計算を始める前にまずそのイメージを頭のの中で操作しながら理論を組み立てるのが日常です。
こういうときに研究者が使うたとえ話や視覚的イメージは、理論の本質を捉えたものです。

つまり、「本物」で「本質的」な「たとえ話」。特殊相対論の「もし自分が光の速度で動いていたら、そこから見える光の速度はどうなるだろう」だとか、一般相対論の「1Gで加速した時に感じる力と、1Gの地表で感じる力に違いはあるのだろうか」だとか…

ところが、強い力と弱い力に関しては、これがすこぶるややこしい。相対論がhardだとすると、強い力と弱い力、そして電磁力をまとめあげる標準理論はcomplicated。

[特殊相対論と一般相対論]そのどちらも、希代の天才アルベルト・アインシュタインが一人で構想し、一人で完成させた理論です。とりわけ一般相対論は、アインシュタイン自身が「生涯最高の思いつき」と呼んだ素晴らしい発想に基づく、壮麗な美しさを持つ理論です。
これに対し、標準模型は、素粒子のさまざまな性質とその間の力を説明するために、何世代にもわたる物理学者が苦労して作り上げてきた理論です。私はこの理論を大学の勉強会で学んだとき、まるで増改築を重ねてきた温泉旅館のようだという印象を持ちました。

私は玄関でもう迷子になりましたよ。

それでも重力と電磁力だけでは足りないというのは、原子が素粒子ではなく、陽子--と(重水素以上の同位体を除いた)水素以外は中性子と--で出来ているという、おそらく中学の教科書でも「豆知識」として紹介されていることがらをちょっと考えてみるだけでわかります。

「ヘリウムには陽子が二つあるけど、同じ+の電荷を持っているのになぜバラバラにならないんだろ?」

この原子核内の「素粒子」をつなぎ止めているものを「核力」(nuclear force)と呼びますが、「電磁力」より強いからこれが「強い力」かと思いきや、話はそう単純じゃなかったんですね。

「素粒子」だったはずの陽子や中性子がそうではなく、「素」の「素」であるクォークどおしを結びつけて陽子や中性子に「仕立てている」のが「強い力」で、「核力」というのはその「強い力」で結びついて出来た、やはり「素」ではなかった中間子がやりとりされた結果の力だったというのは、「原子核ってなんてややこしいことしてるんだ」と何度見返しても感心する以上に呆心しています。

呆れるといえば、その名前。惹かれるgravitatingような「重力」や、痺れるelectrifyingような「電磁力」に比べ、なんですか「強い力」だの「弱い力」だのって「ドラゴンボール」の登場人物ですかあなたたちは。特に弱い力。強い力がないと原子核がバラバラになっちゃうからまだこれはわかるけど、なんじゃこりゃ、クリリンのことかー!

実はそうかも。

「弱い力」というだけあって電磁力よりも弱いのですが、実はこいつが一番わからない。著者はこの弱い力を「美女と野獣」の野獣に例えていますが、クリリンのたとえも悪くなさそう。クリリンなしのドラゴンボールを想像してみると。そして、「弱い」とはいっても、「四つの力」の中で最弱の重力と比べたらとんでもなく強いところも。1015倍。スカウター振り切れるどころではありません。ちなみに53万倍はたったの106のそのまた半倍です。

で、この弱い力、何をしているかというと核をベータ崩壊させているわけです。そしてこのベータ崩壊、実は未だに全貌が明らかになっていません。ただでさえ質量ありのニュートリノを放出して標準理論をややこしく--必要なパラメターの数を7つも増やしている--にとどまらず、マヨラナ粒子だとするとさらにややこしくなる…

強い力と弱い力、どちらか一つだけでも充分ややこしいのに、なぜ著者は一冊にまとめたのか。

実はこの二つの力、いや電磁力もあわせた三つの力は元々同じものだったから。

それが著者、いや標準理論の主張。「標準理論とは何か」。これぞ、本書の「真名」。宇宙が今より遥かに熱かった頃は元々一つだったのが、まず強い力が分かれて、さらに電磁力と弱い力が分かれた。クリリンよりむしろゴテンクス→悟天+トランクスの方がよかったか…素人の例えはこうして破綻します:-)。

しかし本当はさらに重力だって同じ力だったはず、というのが現代物理学者たちの多くが共有している「信念」のようです。なぜ「信念」かというと、それをも「同じだった」と主張できる「真」標準模型がまだないから。アインシュタイン曰く「神は老獪だが悪意はない」。悪意がないとみなすには、二つで充分ではないようなのです。

ここまで来て、やっと著者の本職がうかがえます。

二つを一つに。重力をも含めた「真」標準模型の制作。

読了後、読者の心は「よくぞそこまでたどり着いた」という「状態」と「まだそこまでしかたどり付いてないのか」という「状態」が、シュレーディンガーの猫のごとく同時で満たされるはず。で、わからないなりに、「あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!」という気持ちが伝わるはず。

それは著者が体験したような「神髄」そのものではないし、著者がそれを理解した時の感動が超新星爆発だとすると、私のような読者が本書で得た理解はカミオカンデが捕まえたその時のニュートリノぐらいの開きがあるのかも知れないけれど、それでも見過ごしがたい何かが、そこにある。

世界で最も不可解なのは、世界が理解可能であるということです
-- Albert Einstein

たとえ自分にとって理解可能でなくても、自分より理解に近い人がいて、そしてそこに少しでも近づこうとしている彼/女たちをかいま見るだけで心に力がわき起こってくるというのは、その次ぐらいに不可解なことかもしれません。

Dan the Weak