久しぶりに本を上梓しますのでおしらせを。

はじめに - はだかの私たち

「裸の王様」という童話は、現代では最も知られた物語の一つでしょう。本書を手に取る読者のみなさんももちろんご存知かと思いますが、本書にとってこれは格別な意味を持つ物語なので、Wikipediaからあらすじを引用します。

新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。王様は大喜びで注文する。仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。ついにみなが「王様は裸だ」と叫ぶなか王様一行はただただパレードを続けた。

告白すると、このあらすじを読み返すまで、私は「裸の王様」というお話に関しては「知ったかぶり」でした。私の心の中では、「みなが『王様は裸だ』と叫ぶ」で話が終わっていたのです。ところがよくご覧下さい。パレードはそのまま続いているのです。

「真実が明らかになった後も、虚偽に基づいた計画がすぐに止まるとは限らない」。これは「純真無垢なものだけが、真実を公表できる」という以上の教訓ではありませんか。そしてそれは、王様のパレードという政治活動に限らず、科学技術における活動すら例外ではないのです。本書でもあらためて本文で触れるとおり、日本の原子力政策しかり、米国のスペースシャトル計画しかり…

「科学に関する本を書きませんか?」と角川書店の原さんから勧められたとき、私の胸中にわき上がったのは二つの思いでした。「是非もなく」「私にその資格があるのだろうか」。手を付けた当初は、前者が二で後者が八といったところでしょうか。

私の最終学歴は中学校卒業、中卒です。Wikipediaにあるとおり、大学に在籍していたこともありますが、そこを卒業しておらず、さらにその前段階の高校も大学入学資格検定、いわゆる大検で飛ばしております。現在ではこの試験は高等学校卒業程度認定となっており、高卒資格と同等のものとなっているようですが、当時はあくまで「高卒でなくても大学に入学する資格がある」ことを認可するだけの試験である以上、高卒の資格も私は持っていないことになります。そんな私が、科学に関する本を著す資格があるのだろうか、と。

その一方で、私は自らが主催するblog、"404 Blog Not Found"の書評を通じて、個人としては日本で一、二を争う科学書籍の販売者でもあります。毎月400から500冊程度の献本を受け、そのうちの少なからぬ部分は博士号を持つ正真正銘の科学者からのものであり、書評に対して身に余る礼状を頂く事も少なくありません。

「本物の科学者は、資質は問うても資格は問わない」。それが書評を通して得た私の実感です。少なくとも本書を著すにあたって彼らが著者としての私の資格を問う事はないということは私にもわかりました。しかしこれでも五分五分です。

そんな迷いを断ち切れぬ2011年、3月11日がやってきました。その時の様子は本文でふれるのでここでは繰り返しませんが、「王様」が裸であることが白日の下に曝される例に事欠きませんでした。そして原点に立ち返ってみて気づいたのです。

私も、王様だったことに。

わが国、日本の国是は、民主主義。つまり全ての有権者が王様だということです。「その上に天皇がおわす」という方もいらっしゃるでしょうが、その議論は機会を改めて。本書にとってより重要なのは、官邸の中の人も、大学や研究所の中の人も、そして読者のみなさんや私のような一市民も、与えられているのは等しく一票だということ。

ホンモノニセモノを問わず、科学技術のもたらす結果に対して責任を負うのは、官邸のえらい人でもなければ東大京大のえらい人でもなく、著者のわたしであり、読者のあなたなのです。

これで十割になりました。もはや他人事ではないのですから。

本書の役割は、ただ一つ。

読者のみなさんに、科学技術は自分事だということに気づいていただくこと。

パレードを続けるのもやめるのも、「あいつら」ではなく「われわれ」だということに気づいていただくこと。

あなたにとっての科学技術が、対岸の火事ではなく他山の石となったなら、それにまさる著者の喜びはありません。

よろしければ、ご一読を。

Dan the Author