担当編集者の三野さんより献本御礼。余談だが彼女は「新書がベスト」の担当編集者でもある。

その「新書がベスト」にも書いたとおり、新書の愉しみの一つは「その道のプロゆえ、ライターとしてはプロではない」著者による「裏話」にある。しかし「その道のプロ」に「辞書編纂者」を持ってくるというのはありそうでなかなかなかった。これは弾言するしかない。この本を愉しめぬ人は書物というもの自体愉しみ難い、と。

本書「辞書を編む」は、三国こと三省堂国語辞典の編修委員による、"The making of a dictionary"。辞書ではわからない辞書の世界が、ここにある。

では、辞書とはなんだろう。辞書自体にたずねてみた。

このとおり、辞書によってもその定義は異なる。Mac OS Xに標準搭載のスーパー大辞典には「辞表」の意味まで載っているが。三国の方はなんともすっきりしている。しかしどちらにも共通しているのは、ことばをたくさん集めた上で「一定の基準で」並べているところ。

三省堂国語辞典 第六版

辞書の特色は、その基準にある。なにを載せて、それ以上に何を載せないのか。辞書を読み比べるだけでもそれはある程度見えてくるが、しかしどうその基準を満たすかともなると、やはり実際に編んでいる人でないとなかなかわからない。

で、見ての通り三国はかなり基準が厳しい。容量制限が事実上なくなった電子辞書の時代にあっても、いやむしろそれだからこそ厳選している。それも「なかなか新語を載せない」ではなく、「使われなくなった旧語はあえて落とす」という、より手間のかかる取捨選択をやっている。「新しすぎる」かな漢字変換辞書も、「古すぎる」辞表も省いた上で、「辞典」の意のみを掲載している。

P. 29
ひとつは、「実例に基づいた項目を立てる」ということ。もうひとつは、「中学生にもわかる説明を心がける」ということです。

およそ人にものを教える仕事に携わったものであれば、初心者ほど難しいことは身にしみているであろう。その意味で三国は最も編むのが難しい辞書とも言える。

そして現代では、もう一つの難しさが加わっている。

電子辞書の、台頭だ。

前述のとおり、そこに紙幅制限はもうない。ない以上、「載せられるだけ載せた」方が見応えもある。ユーザーもついつい「こっちの方が詳しいからこっちを使おう」となりがちである。それに対して著者がどう応えているかは三国と本書でご確認いただくとして、頼もしいのは著者がそれを肯定的に捉えていることだ。

P. 244
国語辞典にとって、電子化の波は、脅威どころかむしろ味方です。電子化のおかげで、これまで辞書を引かなかった人々が、日常的に辞書に接するようになりました。敵と味方を間違えてはなりません。

値段一つとっても、アプリ版は書籍版の1/3。ふところに優しいのもありがたい。

が、ふところに優しいどころか全く痛まないフリー辞書の台頭も著しい。百科事典の世界ではあのブリタニカですらWikipediaに殺られてしまったが、辞書の世界ではどうか。ぜひ本書でご確認を。

個人的に一番感嘆したのは、辞書編纂の進め方がオープンソース・プロジェクト、それも特に言語の開発に似ていること。一人で進めるには大きすぎ、しかし何でも載せるわけには行かない。何を変え、何を残すか…

P. 259
辞書の項目を通じて、私は人々に呼びかけます。どうです、皆さん。ここは、ことばだけで出来た世界です。自然も、人工物も、ものの動きも、人の心の中も、具体物も、抽象物も、あらゆるものごとが、ことばによって表現されています。なかんかよく特徴を捉えた模型でしょう。

ああ、確かに同じことをしているではないか。楽しいわけだ、こりゃ。楽じゃないけどね。

Dan the Open Source Programmer