訳者より献本御礼。

奇妙な言い回しになるが、某社CTOを辞して以来、最も「読者という他人としての態度を取り難かった」一冊。

「なんでおまえもやんなかったの?」と言われているような気がして。

本書「Yコンビネーター」(原著"The Launch Pad")は、副題の「シリコンバレー最強のスタートアップ養成スクール」として今や最も有名なY Combinatorを、「いわば『壁に止まったハエ』になってYCの中で起きることを漏れなく観察し、読者と友にその場に居合わせたかのようにその体験を伝える」一冊。

本題に入る前に苦言を。固有名詞をいきなりカタカナで書くのはやめていただきたい。「ドロップボックス」ぐらい有名かつ平易ならまだ「Dropboxのことか」とわかるが、Herokuぐらい著名でも「ヘロク」とされるともうわけがわからん。そもそもHerokuを「ヘロク」と発音していいのかほんとにわからないし、そういう社名はめずらしくないのだから。本書をきちんと読みたい読者とあらば、本書に登場したスタートアップたちが今実際にどうしているのかはWebでも検証したいはずなのに、カタカナが邪魔をする。JavaScriptが「ジャバスクリプト」になっていないことを考えるとなおのこと謎だし、Y Cominator本体に至ってはYCと断りもなく略記している。なれなれしいにもほどがある。

本書に限らず、固有名詞はまず現地語で書いて、(以下「カタカナ」)とするのがよいだろう。

本題に戻ろう。本書の主題であるY Combinatorというのは何なのか。Wikipediaにはこうある。

Yコンビネータ (企業) - Wikipedia
YコンビネータLLC(Y Combinator LLC)は、カリフォルニア州マウンテンビューのベンチャーキャピタルである。主にスタートアップ企業に対し投資している。2005年にポール・グレアム、ロバート・T・モリス、トリヴァー・ブラックウェル、ジェシカ・リヴィングストンにより設立された。

Wikipediaに載っていないのは、Yコンビネーター自体がヴェンチャーであるということ。もし同社がただのヴェンチャーキャピタルであれば、本書どころは同社自身存在意義をなくすといっても構わない。意外と知られていないことであるが、ヴェンチャーキャピタル自体はヴェンチャーではなく、極論してしまえばヴェンチャーキャピタルの出資を受けた時点で、ヴェンチャーはヴェンチャーを卒業するとみなしていい。同社の「サーヴィス」は、そんなヴェンチャーたちを卒業させることにある。

そしてヴェンチャーのヴェンチャーたる所以は、イノヴェーションにある。何が同社のイノヴェーションだったのか?他のヴェンチャーキャピタルが出資する前に、他のヴェンチャーキャピタルより小額を、同時に多数投資した上で、それらをシリコンヴァレーに呼び寄せて互いに切磋琢磨させるところである。

そしてそのイノヴェーションは、天才的発想というより必要に迫られて編み出されたものだ。ViaWeb売却が創業者たちにもたらした5000万ドルという金額は、個人としては大きいがキャピタルとしては小さすぎる。他と同じ事をしていては、成功以前に存在意義がない。

ではどうするか。小額な資本を有効活用するために、「見所のある若いの」を一本釣りするか。こちらはむしろ一般的で、Googleの創始者たちに10万ドルの小切手を切ったAndy Bechtolsheimの例は、「In the Plex」にも「グーグル秘録」にも、本書を含めおよそGoogleに言及している本であれば必ず紹介している。ところがY Combinatorは普通のやつらの上を行くことにした最高でも2万ドルを、一度に何十社に投じるのだ。こう言っては何だが、オレオレ詐欺(あえて昔の呼び方)の一回の被害額程度の、ふつうの人でも出せる金額だ。なんでそれでうまく行ったのか、いやその方が冴えたやり方だったのか。そこから先は、本書で確認していただくべきだろう。本記事程度でそれが伝わるのであれば、今頃Yコンビネーター式はオレオレ詐欺程度には流行っているはずなのだから。

流行るどころか、私自身、「オレオレ詐欺師」になっていてもおかしくなかったのではないか。

Paul Graham自身が主張するように、ヴェンチャーを成り立たせる要素、金持ちとハッカーがいるのはシリコンヴァレーだけではない。Graham自身、Y Combinator以前はずっとミシシッピ川の東にいたし、東京首都圏にはどちらもずっと多いのではないか。しかしGrahamすら、シリコンヴァレーそのものを再発明するよりはそれを利用する事を選んだ。何がシリコンヴァレーと他を分け隔てているのだろう。

その答えは、Graham自身わからないと率直に答えている。しかし彼らが重大なヒントをつかんだのは確かなようだ。それは、イノヴェーションにおいてこそ、類は友を呼ぶが成立し、そしてネットが普及した今もなお朱が紅くなるためには交わればならないということ。ネットは地理的集中を弱体化するどころか強化したのは、シリコンヴァレーに限らず世界的な傾向だ。

「ヨーロッパ〔やその他の場所〕では、人々が大胆さに欠けるなどということではなく、手本に欠けていることが問題なのだ」

なぜシリコンヴァレーか?そこにやつらがいるからなのだ。

しかし、やつらがいるのは本当にそこだけなのだろうか?

少なくとも、東京にはいる。十二分にいる。互いに切磋琢磨したいハッカーにとっては、シリコンヴァレー以上の好適地だ。少なくとも勉強会の開催頻度はずっと高い。足りなかったのは、彼らと接するべき金持ちだろう。同じ東京とはいっても、ハッカーがたむろする場所と金持ちがたむろする場所はあまりに離れている。東京に限らず、NYCやLAなども同様の問題を抱えているのかも知れない。大都会は狭いようでいて広すぎるというわけだ。

でも。

それでも。

できない理由なんかいくらでも上げられるのだ。それを出来るようにするのがイノヴェーションであり、それをやるのがヴェンチャーではないか。

騒いだ血が、なかなか鎮まらない…

Dan the Hacker