「手遅れになってから困る」って、まだ困ってないの?

現実を直視して実効性ある少子化対策を - 雑種路線でいこう
目先できることだけやって、対策を打ったことにして問題を先送りにし、手遅れになってから困るのは僕らの世代だ。自分が年老いて若者の助けが必要になってから野垂れ死ぬ前に真剣に考えたい。

もう何度も繰り返して言ってるけど、この国では再配分によって子供がより貧困になってるんだよ?与えてるんじゃなくて奪ってるの、国が。

まずこれを直ちにやめるのが出発点じゃないの?

で、仮に逆向きのエスカレーターを反転させられたとする。それでも戻せないものが、ある。

生まれなかった、子供そのもの。

私の次女は、2001年にこの国で生まれた1,170,662人のうちの1人。この2001年の日本生まれの日本人というのは、この先減る一方。これはどの年代でも変わらない厳然たる事実で、彼女の叔母、つまり私の妹の生まれた1971年の2,000,973人になったりするということは未来永劫ありえない。

仮に出生率が4とか5とかありえない数字になったとしても、少子化は止まらないということ。しかも出生率はあくまで率で、母親になれる人の数そのものが今後減り続ける。

つまり、「実効性ある少子化対策」という言葉そのものが現実逃避だということ。釜石の防波堤も同様に。Silver Tsumamiはすでに起ってしまったのだから。

404 Blog Not Found:寄稿 - 宋メール連載第三回「地より民を」
そして今、日本全体の人口が減っています。仮に避難区域指定が解けるのに30年かかったとして、30年後一体どうなっているのでしょうか。2010年に1億2800万人だった人口は、2040年には1億人をわずかに上回る程度になると推計されています。
別の言い方をすると、今回の震災の死者行方不明者の1,000倍もの人たちがいなくなるのです。これは現在の東北地方の全人口932万人の三倍にもおよびます。このことを計算に入れず、現在の人口を元に「復旧」をしたら、30年後の人々がそのツケで苦しむのは目に見えています。

「減らないようにする」は、もう手遅れ。

今から何とか出来るのは、「減ってもなんとかなる」ように持っていくだけ。

そうきちんと言っているのは、この本ぐらいか。

404 Blog Not Found:子供が減るのが悪い理由 - 書評 - 子供が減って何が悪いか!
著者のスタンスは、子供を生む自由も生まぬ自由も双方保証されるべきで、そしてどちらかの選択をした場合も選択に対するペナルティーを課すべきではない、というものだ。よって目指すべきは、少子化そのものを解決するのではなく、少子化が社会問題化するのを防ぐことをもってよしとする。出生率を上げるのではなく、出生率に依存しない社会体制を確立することが肝要なのだと著者は説いている。

ではどうするべきか。

「日本の景気は賃金が決める」では、それを「おしくらまんじゅう政策」と呼んでいる。

Masahiro Kaminaga's Weblog: 日本の景気は賃金が決める
アベノミクスでは、(1)金融緩和、(2)公共事業拡大、(3)成長戦略を三本の矢として政策を展開するとしていますが、「おしくらまんじゅう政策」では、これらを修正し、(a)金融緩和を不動産価格上昇につなげる(バブルになってもかまわない)、(b)公共事業を、都市部で交通網整備などに使う、(c)人口の都市部への集積でサービス業を成長させる、という形で重点が変わっています

別の言い方をすれば、非都市部はがんがん放棄するということでもある。夕張も釜石も、自治体としては消滅は免れないだろう(形の上では吸収合併されるにしても)。しかし、そこにいた人々は新天地で寿命を全うできる。うまく行けば、彼らがふるさとにいたときより充実した生活がおくれるかも知れない。

「かも知れない」。我ながら無責任な言い方だとは思う。しかしこちらは2001年日本生まれを倍増させるのとは違ってまだ可能性があるし、行政の掌が入らない「自然」レベルでは現在も進行中だ。

あとは、行政がそれにそっと乗るか、それとも督戦隊よろしく地方交付金をばらまいて追い返すか。

長女が生まれたのは、妻が30歳、私が29歳の時。1998年生まれの彼女が30歳になる頃を待たずして、東北まるまる一個分の人口がこの国からは損なわれる。これはもう決定事項なのだ。

これだけは、確かだろう。

呑気に手帳なんて配っている場合ではない、と。

Dan the Father of Two