体調が悪いと何が良いかって。SFを読みたくなる事、かな。

しかし邦題ひねりすぎだ。「宇宙の戦士」しろこれにしろ。田中啓文的なダジャレSFかと思いきや、古き佳きというか、Beetleに対するNew Beetle的な宇宙冒険活劇だったではないか!

ラノベじゃちょっとなまぬるい。でもSFってなんだかこわいって読者にどんぴしゃり。

本作「老人と宇宙そら」の原題は、The Old Man and the Seaではなくて、"Old Man's War"。あえて直訳すると、「爺さんの戦争」。うーん。やっぱこれじゃ潜在読者は振り向いてくれなさそうだなあ。やっぱこのジジイギャグな邦題でよかったのだろうか。たしかに邦題だけではなくて訳もこなれてたし(「クソッタレ」と「アバズレ」と「トンマ」と「バカタレ」と「サタン」と「ラブリー」の訳し分けで邦訳の元取りましたとも、ええ)(それを確認するために原著も買う羽目に。といってもKindleでアンダーワンコイン。平易なのでお薦め。Duneとかよりずっと楽だお!邦訳では割愛されてたBrainPal™とのタイポグラフィ会話もあるし)。でもミスリーディングもはなはだしい。まるで老人を騙して兵役につかせる、本書のコロニー防衛軍ではないかっ

実は、こんなお話。

ジョン・ペリーは75歳の誕生日にいまは亡き妻の墓参りをしてから軍隊に入った。しかも、地球には二度と戻れないという条件で、75歳以上の男女の入隊しか認めないコロニー防衛軍に。銀河の各惑星に植民をはじめた人類を守るためにコロニー防衛軍は、姿形も考え方も全く異質なエイリアンたちと熾烈な戦争を続けている。老人ばかりを入隊させる防衛軍でのジョンの波瀾万丈の冒険を描いた『宇宙の戦士』の21世紀版登場!2006年ジョン・W・キャンベル賞受賞作

「宇宙の戦士」の21世紀版ときたもんだ。でも、あれに出てくるのは戦士じゃなくて兵士。Starship Troopers. 普通の少年が普通の機動歩兵として、人類の存亡をかけて第一線で戦い、それを通じて兵士としても--そして同作品の最も重要なメッセージとして、それを通して市民としても一人前に--なっていくのが同作なのに、本作はいきなり老人から話が始まる。でもどちらも一兵卒を通して見た、宇宙戦争と戦時の人類の物語。

「宇宙兵もの」と名付けてもいいだろう。「終わりなき戦い」に「エンダーのゲーム」…傑作な大作が多い一方、文字通りパルプフィクションだらけで、あまりに多いゆえStar Wars以降はそれをSFだとも感じられないほどあふれたジャンルでもある。

「本家」SFの方では、それゆえ避けて来た話でもある。昨今のSFでは、異星人はおしなべて友好的で(まあ友好的すぎて幼年期と一緒に人類終わらせたりという大きなお世話なやつもいるけど)、そして超光速はめったに出てこない。たまに超光速が出てきたと思ったら、戦争しているのは人類どおし。いわゆるスペース・オペラってやつ(アーブは異星人に入りません。アボガドがお菓子に肺要らないぐらい)。 Star Trek には異星人も異星間戦争も出てくるけど、なーんか異星人の皆さん、せいぜい開国間もない日本における異人さん程度しか異人度が高くなくて、やっぱSFというよりスペース・オペラなんだよねえ。

てなわけで読みたかったんですよ。異星人と超光速で宇宙戦争していて、それでも(狭義というか時代を経るごとに全体が大きくなるがゆえにますます狭くならざるをえない)SFだ、って作品に。

それをダジャレ一発で遠ざけるとは!

善玉と悪玉を見分けられると思っていたら命を落とすことになる。もっとも人間に似ているエイリアンが、人間との友好より人間をハンバーガーにすることを望むような世界では、神人同形論なんてものは通用しないんだ

そのとおりであります、オグルソープ中尉!

でも今は21世紀。「宇宙の戦士」の「人類軍マンセー」も、「終わりなき戦い」の「人類なんてカマでもほってろ」も、「エンダーのゲーム」の「大人達に強いられているんだ!」も、「おまえは今まで読んだSFの冊数をおぼえているのか?」なナウなSF読みにはもう骨の髄までしゃぶりつくされている。本作の人類は、ある意味「ふつー」。「人類の科学は銀河一チイイイ!!」ってほど強くもなく、かといって「戦闘力たったの5か、ゴミめ」ってほど弱くもなく。

系外惑星がほいほい見つかる昨今にあっては、むしろ一種の異星人の生態や一戦の宇宙戦争の実態をしっかり描いたSFがむしろアンリアルで、宇宙のあちこちで知的生命体がバトルロイヤルを繰り広げる本作のありようこそがリアルに思えてくる。そう。SFというのは実は科学の後追いだったりするのだ。異星人と超光速が影を潜めたのも、天文学と物理学のおかげなんだよね…

で、宇宙兵ものと来たら、やはりいくら物語が面白くても兵器がかっこよくなきゃ話にならない。この点だけでも本作は今までの宇宙兵が火器以前の兵隊に見える程イカしている。パワードスーツ?チャック・ノリスに必要ですかそんなもの?そのチャック・ノリスに光合成できる緑色の肌と、市民つまり一般人の四倍の酸素運搬力を持つスマートブラッド™(これで肌に止まった蚊を焼き殺せる)と、iPhoneもGoogle Glassも、AK-47の前の火縄銃もいいところの脳内PDAインプラント、ブレインパル™を加えて、そこに健全な老人の魂を吹き込むと、コロニー防衛軍の一兵卒の出来上がり。その彼らが番える槍、MP-35はもうガンマニアの極楽ニルヴァーナで、持ち主を識別できるほど賢いのでリモコン盗まれた鉄人28号の正太郎君状態という元来の意味でのショタコンは完璧にありえず、そして弾丸自体がナノマシンで出来ていて、ブレンパル™で念じるだけでグレネードランチャーから火炎放射器にもなるという優れもの。

でもリアルなのは、それが戦国自衛隊を彼らに演じさせるためのものどころか、最低限宇宙文明的な装備だというところ。パワードスーツどころか戦車と素手で戦えるような彼らを文字通りおやつにする連中が、宇宙にはごまんといるのだ。

本作が一番リアルだったのは、そこかも知れない。

人類を含めた宇宙人が、種の一存をかけて全身全霊で戦っているとは限らないというところ。人類のあまりの美味さに、惑星一つ献上してまで秘密兵器を借りて人狩りに興じるやつらもいれば、真・異種格闘大戦向こう三軒両隣ノウン・スペースにけしかけるやつらもいる。そんなやつらの前では、我らが長老部隊も、戦況芳しくないこと立体機動だけで巨人に立ち向かう調査兵団のごとく。

本作がさらにリアルなのは、そんな異星人達の宇宙戦争に対する態度の差が、外交の余地を産んでいること。そう。本作がある意味星間文明ものとしては最もリアルさを欠いていて、逆に星間を知らない我々人類にとっての文明ものとしてはリアルに感じられるのは、戦争というオプションをも含めた外交の余地があるところかも知れない。「宇宙の戦士」も「終わりなき戦い」も「エンダーのゲーム」も、戦っている最中は殲滅戦だったもんなあ。

蛇足だけど、「宇宙の戦士」を嚆矢とする宇宙兵モノで敵が占拠する惑星に遊星爆弾落っことすようなアホウがいないのは、すでに「宇宙の戦士」の段階で説明済み。お互いに欲しいのは更地であって廃墟じゃないのよ。

こうなると、一番リアルに感じられないのは、遺伝子工学で肉体そのものを武器へと変え、通信までブレンパル™で組み込みにしているのに、脳神経系がホモ・サピエンスなままなこと。生まれつきの兵士である特殊部隊兵までそうなのだ。人類だけがそうならまだ「何の成果も得られませんでしたぁぁ!」ですむのだけど、そこらへんの知的生命体をかき集めてムシキングならぬヒトキングさせている(というかコドク・エクスペリメントというか…)コンスーまでそうなのだから解せない。やはり肉滅後では、戦争という名の宇宙資源獲得競争は成り立たなくなってしまうのだろうか…

でもそれは本作の描写が優れていることの証かも知れない。私だって「チェインバー、レド少尉が君を必要としているほど、君と人類銀河同盟は少尉を必要としてはいないのではないか」って訊ねちゃいそうだもの。もちろんそんなの決まってる。「お は な し に な ら な い」から。

でも、本当にありえないのかな。技術的特異点シンギュラリティ後の、異種間戦争って。

案外、飯屋の応対がまずかったぐらいで勃発しちゃったりして。

やっぱ通じるものがあるのかしら。戦争嫌いでも戦記は好きなのって。

作り話だけにしておきたいものですね。

Dan the SciFilia