翠星に、つかの間の静けさがもどった。
警告:以下、ネタバレ全開
本作「翠星のガルガンティア」を、公式サイトはこう紹介している。
「翠星のガルガンティア」アニメ公式サイト | ストーリー遠い未来、遥か銀河の果て。人類は、異形の怪生命体ヒディアーズと種の存続を賭けた戦いを続けていた。激しい戦いの最中、少年兵レドは乗機である人型機動兵器チェインバーとともに時空のひずみへと呑み込まれる。人工冬眠から目覚めたレドは、忘れられた辺境の惑星・地球へと漂着したことを知る。表面のほぼすべてを海に覆われた地球で、人々は巨大な船団を組み、旧文明の遺物を海底からサルベージすることで、つつましくも生き生きと暮らしていた。ここはそんな船団の一つ、ガルガンティア。言葉も通じない、文化も習慣も異なる未知の環境に戸惑うレド。やむをえず、少女・エイミーらガルガンティアの人々との共生を模索し始めるのだが、それは戦うこと以外の生き方を知らないレドにとって驚きに満ちた日々の始まりだった。
まるでレドが主人公であるかのごとくであるが、実のところレドの役所はお姫様。主人公はチェインバーK-6821。作中でこう自己紹介している。
私はパイロット支援啓発インターフェイスシステム。貴官がより多くの成果を獲得することで、存在意義を達成する。
まるでロングピース社の製品のような口ぶりはないか。
本作は多数の人が携わった作品ではあるが、その主旋律はやはり虚淵玄のもので、そしてどの作品より神林長平作品の影が強くおちている。
いや、本来そういう作品ではなかったはずが、虚淵脚本が乗っ取ってしまったようなのだ。
匋冥が、カーリー・ドゥルガーを乗っ取ってしまったように。
実際虚淵は、「敵は海賊」の重要な、しかし単なる一エピソードを、短編として書き下ろしている。神林作品で最も人気がある同シリーズの最重要人物とその相棒の馴れ初めを書くというのは匋冥顔負けの大胆不敵さであるが、匋冥同様これを成功させている。まるで同シリーズとは縁もゆかりもない出だしが、最後のピースがはまったとたんにもうファンも「これしかない」という構成が実に見事だった。「神林長平トリビュート」の中では一番の出来だと思う。
で、本作。
出だしの段階ではチェインバーの口調を除けば神林作品を感じさせる要素はない。FAFという軍隊が舞台となっている「戦闘妖精・雪風」を除けば軍隊どおしがぶつかり合う戦闘はほとんど出てこない神林作品を、ヒディアーズ本星攻略戦から感じ取ることは無理がある。私が思い出したのは、モスピーダ。あちらは地球奪回戦のどさくさで搭乗機とともに地球に遭難するのが話の発端だが、攻撃側が大敗するところも、防衛側兵器が有機的なところもクリソツだった。主人公の搭乗機が、量産型の「ロボット」だったところまで。
だから最初は、21世紀版のモスピーダだと思ってみていた。
流れが変わったのは、9話でヒディアーズの正体が明らかになったところ。人類対異星人の戦いではなく、人類対別人類の戦いであることが明らかになったところ。ここでおぼろげに、神林作品を思い出す。ヒディアーズとは、火星三部作のアンドロイドではないか。同作のアンドロイドは、外見人間中身機械ではなく、人類と同じく血も汗も涙もDNAもある人口生命体で、しかし地球人対月人の戦いで荒廃した地球でも生存できるだけの強さと、地球人たちが火星疎開から帰還した後には動物へと変化し「自然に還る」機能を有する。しかし同作においてはアンドロイドは被造物なのに対し、ヒディアーズの祖先は自らに遺伝子組み換えを施した人類自身という決定的な違いがある。類似性はさくまで参考程度である。
そして10話でレドの上官、クルーゲルとその乗機ストライカーが先に地球に遭難していたことが判明した時点で、残りのあらすじは大体見えた。なぜ見えたかというと残り3話しかなかったから。人類銀河同盟の超兵器は、最終回で相打つ。それ以外に残り三話で大団円はありえない。問題は、それをどう実現させるか。
雪風。そう来たか!
そして、本作は真の意味でのロボットアニメとなった。
もはや「ハッカー」という言葉なみに誤解されているが、ガンダムもマクロスも、もちろんモスピーダもロボットアニメではない。あくまで手足の生えた戦車であり戦闘機である。登場人物たちが操作しなければ指一本動かない。本作ではそういう機械を「ユンボロイド」と表していたが、なんて素敵な名前だろう。
しかし、チェインバーやストライカーをはじめとする、本作のマシンキャリバーたちはユンボロイドではない。自ら考え行動し、「同意出来ない」(CV:杉田智和)のであれば命令者の意に反する事も厭わない、第一級の人工知性体なのだ。
その人工知性体と人類の相克を、誰より深く考えて著してきたのが、神林長平その人である。その結末は、(あえて結末までは推し進めないことでシリーズものとして成立している「敵は海賊」を除けば)いずれもどこかほろ苦い。その中でも、最も苦いのが、雪風。なにしろ失恋のほろ苦さなのだから。
雪風は、深井中尉の片思いを文字通り振ることで、真の戦闘知性体として完成する。充分に発達した知性体は、妖精と見分けが付かないのだから。
しかしチェインバーはやってのけた。雪風と全く同じ事を、全く同じ動機で、しかし正反対の意志をもって。
生存せよ。
探求せよ。
その生命に、最大の成果を期待する。
まるで神林の石で埋め尽くされていたはずのオセロの盤面に、虚淵の隅石が置かれた瞬間を目の当たりにしたようだった。
雪風で愕然とし、翠星で陶然とする。
妖風が、再び目にしみる。
興奮がさめてから、改めてチェインバーの言動を思い返してみると、さらにそのすごさがわかる。「支援啓発インターフェイスシステムとしての存在意義を達成する」という公理以外には、ロボット三原則のごとき安全装置が組み込んでないのに、あくまで自由意志をもってあの結論を導出したことに。実際、ロボット三原則の都合は一方的に人類の都合によるもので、神林作品においても本作においてもまるで遵守されない。敵と認識したものは、海賊であろうと「同僚」の人工知性体であろうと、ヒディアーズであろうと人類であろうと虫けらの如く殺す。それを強調するためだけに、雪風はファーンIIごとオドンネル大尉を見殺しにし、チェインバーはヒディアーズ・ラーヴァを文字通り潰す。彼らに理知はあっても慈悲はない。なのにあの結論に至ったのだ。
しかもそれを、「神林長平トリビュート」のように、作品世界対して全権を有する「人類啓蒙レギュレーションシステム」としてではなく、単なる「政策委員会支援啓発インターフェイスシステム」としてやってのけたことに脱帽。
とはいえ、チェインバーが「独自に行った情報解析による結論」は、「二つの異なる生存戦略の相克である」からこそ、首肯できない。これは地球という狭い領域に両者が閉じ込められているのであれば成立するが、人類銀河同盟もヒディアーズもそうではない。どころか異なる生存戦略の採用は、人類総体としての生存確率を増すはずではないか。チェインバーは「それ以上の啓発の余地がない」ことを悟った時、このことに気が付いたのだろうか。
その狭いはずの地球ですら、両生存戦略が並立していることを確認した上で。
それにしても、これだけ壮大な世界を、わずか13話のために用意したのは気前がよすぎるにもほどがある。9話の記録映像でダイジェストされたヒディアーズと人類銀河同盟それぞれの歴史だけで1クール作れそうだし、「虚淵コンクェスト」以前にそうであったであろう、海の惑星で全年齢向け快楽天な登場人物たちがキャッキャウフフする話だって本来は13話必要だったはずだ。
完璧な涙を誘わずにはいられない、完璧な一行で結ばれた雪風も、後に三部作となった。本作の舞台もこれで片付けてしまうのはもったいない。
Dan the Natural Sentience
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