むしゃくしゃして書く。後悔のやり方は知らない。

緊急アンケート!安藤美姫選手の出産を支持しますか? | お知らせ - 週刊文春WEB
この突然の告白に対し、出産を祝福する声が上がると同時に、まだ結婚しておらず、父親が誰かも明かさないことへの疑問や、子育ても競技も中途半端になるのではないかなどの批判もあります。そこで、下記アンケートへのご協力をお願いいたします…
1)あなたは安藤美姫選手の出産を支持しますか?
2)子育てをしながら五輪を目指すことに賛成ですか?

何を言っているのかわかっているのか?

「安藤美姫選手の娘がこの世に生まれて来てよかったですか?」と言ってるんだぞ?

ブラック企業に対しては、就社しない権利もあれば、就社してしまったとしても退社する権利がある。我々にはある。

公職されるにふさわしくない候補には、投票しない権利が我々にはある。

しかし、自らを生まれなかったことにする権利、以前に能力が、誰にあるというのか。

これがまだ、安藤選手が妊娠する前に「結婚はしたくないけど、出産したいです」とでも表明していて、それに対するアンケートであれば、依然下衆ではあるとはいえまだ許されよう。それは彼女の未来で、彼女にはそうすることもしないことも選べるからだ。

しかし出産はもはや成されたのだ。娘はすでにこの世にいるのだ。

404 Blog Not Found:貧乏な社会で子を産むな
そういうあなたは、自らの誕生に責任を持てるのか?その意味において、我々は一人残らず無責任の結果なのである。生まれて来たことそのものに、我々は誰一人として責任を持っていないしまた持ちようがない。我々が責任を持っているのは、我々がいる社会に対してである。そしてその社会が子供に対する責任を全て親に押し付けるというのであれば、親として社会に対して責任を持つ理由がどこにあるのだ。

私自身、「生まれて来てよかった」とはまだとても言い切れない。

私は父に殴られながら育った。まるで鉄塊を叩けば、それが刀になるとでも言うが如く。彼は確かに息子を欲していたが、不運なことに彼の脳内息子と実物はあまりに違いすぎた。私が私であろうとすればするほど、彼の機嫌は悪くなったものだ。しかしそれは私にとって痛いことではあっても辛いことではなかった。彼が不機嫌になればなるほど、私は私になれたことを実感できたのだから。

辛かったのは、私がいるおかげで母は父と別れるに別れられないのではないかという「自責」の念だった。「子はかすがい」というが、間違って夫婦となってしまった二人を、私という間違った存在がつなぎ止めてしまっているのではないか。私が私であるどころか、ただそこにいるだけで彼女が彼女であるべきところから遠ざけ、父の妻であることを強いているのではないか…

妻が長女を妊娠したときには、さらに苦悩した。「なぜ避妊手術パイプカットしておかなかったのだ?おまえ自身でまだ懲りてないのか…」

それが頂点に達したのは、次女が誕生してしばらく後、私の財産が日本人の平均生涯所得を超えたあたりだった。これで心置きなく子育てできる?とんでもない!彼女たちにとっての私が、私にとっての父とならない保証がどこにある?「今ここで逝っておけば、彼女達が殴られて育つことだけは避けられるよな…」

それでもまだ生きているのは、別に生きる理由を見つけたからではない。死ぬのが怖いだけだ。それでも時折「勇気」が帯状疱疹のように沸いて来ては、臆病ヘタレな私ははらはらする。そのたびに私は「とりあえずの締め切り延長」を「勇気」にちらつかせて待っていただいている。「とりあえずこの本を読み終わるまで」から「せめて一回は婿いじりというものをしてみたい」まで…「明日になったら本気出す」という奴である。いつかは実現するのだから、別に嘘はついていない。

自分が自分であることが、彼/女が彼/女であろうとすることの妨げになる。

これに勝る呪いを、私は知らない。不惑を過ぎた今に至っても、解呪の方法は皆目見当がつかない。日々なんとかやり過ごしているだけ。それどころか知らぬ魔にいつの魔に同じ呪い娘達にかけていやしないか。性病を垂直感染させるがごとく…

狂った果実
生まれて来た事を 悔やんでないけれど
幸せに暮らすには 時代は冷たすぎた
中途半端でなけりゃ 生きられない
それが今

母がよく聴いていたこの歌は、私にとって一縷の希望でもあった。そうか。時代が悪いのか。なら中途半端でもいい。それまでとりあえず生きていよう…

「冷たすぎない時代」は、はたして来るのだろうか?

Dan the Accidental Being