
惜しい。
惜しい。
惜しい。
アレさえあれば、この先何十年も残る傑作になったのに。
映画"Pacific Rim"、やっと見れた。英国で長女が日本封切り前に見ていて、なるはやで見るつもりだったのに、八月は体調がKAIJUとJaegersにフルボッコにされる環太平洋の諸都市のごとくで、沖縄講演で戻すかと思いきやこじらせてしまって早九月。何とか間に合った。
映像は、期待どおり。
冒頭最初の五分で「作品における現在の世界」を説明、いや作品内に視聴者を「連れて行く」ところは最高。このイントロの濃さは「サマーウォーズ」と双璧。"Star Wars"の冒頭は、これを見ると「低予算をカヴァーするための苦肉の演出」であることが痛い程よくわかる。本当はきちんと映像を作ってみせるべきところを、文章でごまかしているんだもの。この苦肉の演出があまりに心憎くて、予算も技術も十分みなぎったはずのEpisodes I-IIIも、もはや同作のシンボルともなってしまった消失点スクロールを踏襲せざるをえなくなったというのが皮肉すぎるぐらい。
期待以上だったのが、脚本。
こういう絵で魅せるタイプの映画は、絵で視聴者をだませれば十分合格点。だからたいていこういう感想になる。
IMAX推奨。映像の奥行きと、物語の奥行きのなさのコントラストが見事なので<@koizuka: avatarはまだ見ていない。見たい。
— Dan Kogai (@dankogai) February 1, 2010
ところが本作は脚本も緻密。
「巨大怪獣と巨大ロボットのガチンコ対決」という作品の核自体が荒唐無稽であるといってしまえばそれまでなのだけど、しかしその荒唐無稽を公理として、定理として何が導出されるというのを、映像レヴェルにとどまらず脚本レヴェルでやっていたのが素晴らしい。怪獣xロボットのセメウケがリアルなだけでも眼福なのに、その結果が登場人物たちの人格形成になっているというのは、TVシリーズなどでは当然なのだけど尺に余裕のない映画では難しい。しかしそれをきちんと魅せるために、五分で視聴者を世界に叩き込む、監督の脳に直結したかのごとくのあの超高密度映像にあいなったかと思うと胸熱。
でもね。
でもね。
でもね。
もう思い出せないんですよ。
音楽、が。
悪くなかったことは覚えているの。でももうメロディーを忘れている。
「世紀の名作」って、善し悪し好き嫌いはさておいて、あらすじを全部わすれちゃっても、アノ音を聞いただけでソノ場面が出てくるんですよ。Star Warsのあの「ゴマカシ」を世紀のイントロにしたのは、ジョン・ウィリアムズの音。
想像してみてください。
「♪さらば地球よ」しないヤマトとか。
「燃え上がらない」ガンダムとか。
「残酷な天使のテーゼ」抜きのエヴァとか。
まどマギの音楽が梶浦由記でなかったら、交わした約束だって忘れちゃう。
岩崎琢が作品ごとこの胸を確かに叩かなかったら、天元突破の記憶ですら思い出せなくなりそう。
オリジナルである必要すら実はないんです。Kubrickのおかげで「ツァラトゥストラはかく語りき」が聞こえたら宇宙の旅がはじまっちゃいますし、「雨に歌えば」が聞こえたらオレンジが時計仕掛けになるようになっちゃったし。第九で思い出すのはエヴァ?それともDie Hard?
動画にとって、音楽ってそういう存在なんですよね。
そう思い起こしていくと、怪獣モノというのは音楽がいまいち弱い。いい悪いじゃなくて弱い。「ゴジラ」がその中でも頭一つ抜けているのも、作品そのものの魅力以上にあの一度聞いたら忘れない、というか「♪ごじらーごじらーごじらがくるぞー」とか思わず歌詞をでっちあげてしまいそうな初代のあの音にあるのでなかろうか。
画も音もあるマルチトラックな作品においては、画が主で音が従。
でも記憶への定着度においては、これ逆転するんですよ。原初的な感覚ほど強く残る…もし嗅覚トラックとかが可能になったら、一番忘れられないのはにおいかも。
内容が風と共に去っても、あのメロディーは忘れられない。
「見たくなる」作品を一歩進めて「忘れられない」作品にするにあたっては、そこのところよろしくお願いしたいのです。
Dan the Amnesiac
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